和霊大祭準備 | 鬼城

和霊大祭準備

2013.07.25.Thu.11:00
和霊大祭準備

和霊大祭後の記事をとご示唆頂いたが、今回は準備のみ・・・
昔なら、この「きさいや広場」横の港は漁船で埋まり、大漁旗がたなびいていた。
浦方(海岸に済んでいる方々のこと)の人たちは船で来て、船に宿泊し、祭り見物をしていた。
今ではその漁船は一隻も居ない。
誰が考えたか分からないが、昔を懐かしみ、旗のみ立てている。

準備0

記事は偶然の産物

須賀通の友人宅へ訪れる用事ができ、そのついでに準備風景を撮ってみた。
大漁旗のみだったが、漁船が・・・
見ると「御座船」
今夜、山家清兵衛公が乗って海上渡御をされる船・・・後二隻はまだ来ていないようだ。
御座船に指定されるのは名誉なこととされる。
夕刻より、親類縁者を交え神輿が到着するまで大宴会が催される。

準備1

和霊神社前の須賀川

右には桟敷席が・・・川の中央には舞笹が・・・
神輿が川から上がって神殿に向かう階段も設置されている。
川の上には仕掛花火の準備もできている。
別談だが、宇和島市は花火の中の「クラッカー」生産日本一なのだが、知っている人は少ない。

準備2

山門

本殿に向かう石段の両サイドは高張り提灯が整然と並んでいる。

準備3

和霊町青年団、四つ太鼓保存会がかつぐ太鼓台
この上に4人の児童が乗り、太鼓をたたく。
非常に重いと聞いた。

準備4

主役の三体の神輿

準備万端整っている・・・

準備5

御幸橋(別名太鼓橋)

鳥居は石造り日本一の大きさのもの・・・
背景は鬼ヶ城連山である。

準備6
コメント
 和霊様のお祭りの楽しみ方も変遷があるのですね。母が食事時に「今は毎日がお祭りみたい」とよく言います。こちらの秋祭りも昔はご馳走作って、親戚が行き来していましたが、もう、そのようなことは無くなりました。出番をまつ御神輿、祭りの前の静けさを感じました。
人出
吉野の食いしんぼう 様
木下先生より、祭りの後の写真をとのリクエストがありましたが・・・時間的に無理なので祭りの前にしました。嵐の前の静けさですね。しかし祭りも変遷し、昔のような楽しみ方はできなくなりましたね。一番は人出が少ないこと!
和霊大祭も様変わりしましたね。内港が大漁旗で埋められていた風景はもう見ることは永遠にないでしょう。山家清兵衛の神話が消滅して皆の記憶から消えてしまうのでしょう。歴史を(真実は謎です)伝える機会が無くなって行くのでしょうね。
 和霊大祭で、走り込みのことは知っているのですが、人に酔ってしまう方なので、なかなか足が向きません。御輿と牛鬼との絡みなどもあるのでしょうね。花火も遠く須賀川ダムあたりから眺めたことはありますが・・・。祭りの準備から見せていただくと、大変参考になります。
賑やかそうなのは、四つ太鼓や出を待つ神輿、御座船(?)、なんと人の居ないこと。昔は舟がひしめいて、それだけで祭気分が横溢したものでしたが、これでは祭目当ての商店はありませんね。
この祭りを当て込んで、何処からどれだけの人があつまるのか、調べないのでしょうか。
浮き浮きした雰囲気が感じられなかったのが残念。それにしても暑いさなか、あちこち取材されご苦労様でした。
お祭り
うわつ 様
体調はいかがですか?ブログを見る限り、たいしたことではなかったと安心していますが・・・この暑さ、半端ではありませんね。子ども時代に聞いた「山家清兵衛」はいい人、「桜田玄蕃」は悪い人の言い伝えの方が、面白いし、和霊様自体に夢があります。最近は何もかも現実重視で、味もありませんね。和霊大祭が復活するように!
祭りの名前
tentijin 様
祭りを盛り上げる人たちの苦労は知っていますが、最近ではその苦労がどこの向かっているのか分かりません。観客数が激減しています。走り込みなどは2時間前でも見ることができませんでした。今年などは、神輿が川入りしたときでも十分一番前で見ることができました。牛鬼祭りなどと何をメインにおくのか、お客さんに浸透していないんですね。メインはやはり「走り込み」でしょう。
衰退
木下博民 様
観客は半減以下でしょう。愛媛の三大祭りといわれて久しいのですが、もう他の祭りの方が賑やかで魅力があります。今年の花火見物は愛宕公園でしたが。大阪から来られた方「もう、終わり?」と・・・3日間の祭りの主体が写っているのも、何の祭りか分からないんですよね。一日目「ガイヤ」、二日目「牛鬼」、三日目「走り込み」、私みたいに野次馬根性の塊でなければ、一つ見たらいやになりますよ。須賀川の川岸、隙隙で一番前で見ることができるくらいの人出でした。年々、人は減っていますね。

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