宗祖降誕会 | 鬼城

宗祖降誕会

2013.06.22.Sat.18:00
大師教会

この中で誕生会が開催される。
高野山関係の僧侶が百数十人、今も入り口から入場している。

宗祖降誕会0

通路を境に両脇に並んだ僧侶たち
一斉に経を読むのは迫力があり、霊験あらたかな感じがした・・・

宗祖降誕会1

経を読む代表の僧侶

式なので何かいわれがあるようだが、私たちには不明である。

宗祖降誕会2

管長

壇上にはお二人の僧侶が・・・
朱の袈裟の方が管長さんらしい。

宗祖降誕会3

廊下で経を読むお坊さん

降誕会は2時間近くあったが、姿勢は崩れなかった。

宗祖降誕会4

保育園の年長さんとか

ツアーで一緒だったが、終始おとなしく、参加していた。
ここに来るまでに四国八十八カ所はおばあちゃんと巡ったとか。

宗祖降誕会5

僧侶の列

百数十人の僧侶の歩く姿は壮観であった。

宗祖降誕会6

献華式

弘法大師に花を添える方たち

宗祖降誕会7

献茶

弘法大師にお茶を差し上げる方

宗祖降誕会8
コメント
No title
 数でありがたさが増すわけではないと思いますが、お葬式でさえ、1人の僧侶より2人3人の僧侶が来て読経する方が迫力もありがたさも増すように思えますものね。先日、三崎から宇和島へ和尚と2人のお供のお坊さんが来て葬儀を行ったのですが、お寺に電話すると、和尚が出向けば28万、お供の2人は4万5千ずつと即座に答えられたということを耳にして、思わず少し笑ってしまいました。
お祭り
tentijin 様
誕生会というお祭りですね。規模は違えど、お誕生日のお祝い・・・しかし、弘法大師という人の心は広いと思うのは宗派は問わない、敵味方も問わない、貧富の差も問わないという心の広さだと思います。それを信仰する人の心の問題でしょうね。この儀式が本来のお祭りなんでしょうね。
仏は手の届かない世界ではなく、己の心の中にある
空海の「般若心経秘鍵」に、「仏法遥かにあらず、心中にして即ち近し」とあるそうで、現代風に言い換えると「仏の思想は自らの努力によって会得できるもの」、これしかない、というのでしょうか。凡人には全くわからない世界ですが、僧の数で威圧しても、凡人はああそれでどうなんだといいたくなります。昔、奥の院へ参り、ただ一人で大師の即身成仏されているところで暫く佇んだことがありました。なぜか、僅かの時間でしたが誰も傍には居ない不思議な体験をしました。
ところで、鬼城さんは「経を読む」と表現されましたが「経は唱える」ように思われてなりません。経を通じて仏へ訴え、その仏からのエコーが心に刻まれるのでしょうね。凡夫の私は下山したとき、「ああ疲れた」と思いましたから、成仏など出来そうにありません。後悔しています。
さとり
木下博民 様
さとりという言葉が修行、行脚などにおいて使われますが、全然、自分にとっては無縁のような気がします。今回の旅の目的は、高野山参りではなく、お祭り見物だったようです。そうですね、読むではなく、唱えるですね。言われるとおり、即身成仏されている奥の院では静寂の中に、なにか不思議な力を感じました。ざわつきも静まり、ひたすら拝んでいる人たち・・・
和尚様と献茶
 和尚様の修行も大変なのでしょうね。鬼北の等妙寺の100周年?の御祝いにお茶を和尚様方に差し上げる手伝いに行ったことがあります。緊張しました。その時運んだ貴人点ての茶碗が100万と言われたもので・・・
 高野山ならではの迫力を感じます。
僧侶たち
僧侶達は迫力がありますね。高野山真言密教の空気が伝わってきます。
圧倒される力強い、良い写真だと感じました。
悟りって私も判りません。
鬼城さん
人生は「紙切れ」みたいなもので、表裏があるというだけ、生死を紙の裏表とすれば、面白い。生という表(裏かもしれませんが)が存在するためには死という裏(これが表かもしれません)が必ずなければなりたたない。だといって、表にいるときに裏を覗こうとしても出来ない、そんなものですね。
仏教では「色則是空」「空則是色」なんていいますが、空といえば零だと思いがちですが、ないのではなくてある(色)のですから、混乱します。やはり表裏でしょう。表のために絶対裏が必要で、万物はすべて表だけで存在することはありえない。
太陽に向かえば必ず後ろに影が出来る。影って何だろう?何かが太陽(一応神といいましょうか)に相対したときに自分の後ろに出来る虚像、影の頭を踏もうと追いかけても無理、それが悟りかもしれませんね。
呈茶
吉野の食いしんぼう 様
高野山では献茶というのだそうです。呈茶とどこが違うのかわかりません。しかし、お茶の世界では「お道具」の価値が一人歩きしています。手っ取り早く言うと歴史的、美的価値もさることながら、値段・・・勤務上、いろいろと勉強させていただきました。等妙寺は、四国一の名刹ですよ。そこで献茶をするとは、相当な腕前ですね。旧等妙寺の遺跡も明らかになれば良いですね。現住職は教え子です。
なにしろ腕前が・・・
うわつ 様
被写体は多いのですが、腕が技術がついていけません。アマチュア、セミプロ、プロカメラマンが少なくとも7,80人はいました。1000mmの望遠からズームまで、まるでカメラの品評会・・・結局何を狙っているのか分かりませんでした。遍路姿の子供は多くのカメラマンが撮影していましたね。さすが、おばあちゃんに許可を得ていましたが・・・
生命
木下博民 様
裏と表ですか?それでも分かりません。今でしょ・・・という流行語がありますが、今を一生懸命生きることだとは思いますが・・・今朝の愛媛新聞に「命の授業」が出ていました。新居浜のある小学校の教頭先生の講演です。何度も取り上げられているので知名度は高いですが、講演は聴いたことがありません。彼は膵臓がんに冒され、寿命が決まっています。死ぬまでに子供たちに生きるという大事なことを教えたいと願っておられます。悩んだ末の結果か、それとも悟りか分かりません。

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