高野山 | 鬼城

高野山

2013.06.19.Wed.12:00
高野山大門

高野山の入り口に相応しいもんである。
左右には見事な金剛力士像がある。ここから一直線で東西6km、南北3kmの距離に街はあり、盆地である。
諸堂を取り囲む峰々を繋ぐと蓮の花が開いた形をしているといわれます。

高野山1

金剛峯寺

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。

高野山0

根本大塔

壇場伽藍といわれる一画である。山内の西寄り、金堂、根本大塔、西塔、御影堂などが立ち並んでいる。
ここは、空海が在世中に堂宇を営んだところである。
現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建である。
真言密教の道場としての高野山の中核となる部分である。

高野山2

杉頭

いわゆる聖域の印である。
弘法大師の誕生日を祝うため、金剛峯寺の門の前に作られている。
早く作ったため枝が変色したので、新しく作っているとか・・・

高野山5

奥の院入り口

ここでは身を清める意味とお参りをするため各仏様に挨拶をする場所・・・
水掛け仏である。

高野山3

奥の院への橋

その下を流れる川に塔婆が・・・
各塔婆には施主の名前か子供の名前か見えないが名前が記入されている。
塔婆より下がっている紐状のものは「へその緒」を表しているとか。
ここより聖域となるため撮影禁止

高野山6

奥の院の御供所

弘法大師は今も生きている。高野山奥の院の御廟(ごびょう)に座して1日2回の食事をとっているという。
毎日朝昼の2回、生ける弘法大師に食事をお供えすることを御生身供(おしょうじんぐ)という。

高野山9

豊臣秀吉の慰霊塔

高野山8

織田信長の慰霊塔

三角形の墓が見えるだろうか?
この信長の墓は最近(1970年)見つかった。
信長の慰霊の場所は江戸時代には合ったと記録が残っている。
明治以降、あるはずだと言われ続けてきたが、その存在は不明だった。
子孫の方が、昔の場所から奥の院方面に移したと考えられる。

高野山7

宇和島藩伊達家墓所(慰霊所)

正面が藩祖秀宗、右は宗時、左は三代公宗贇・・・
時間をかけ調査する必要がある。
丁度、一の橋を渡り、左手奥にある。
横は伝代藩伊達家の政宗の慰霊のための墓がある。

奇しくも墓参りをした直後、携帯がなった。
着信は宇和島藩伊達家13代御当主宗信様だった。

高野山4
コメント
高野山
右も左もお寺とお土産やばかりの高野山、車と電車と2回行きました。2回とも根本大塔には行かなかった。
信仰心がないからでしょう。通うことさえ難儀したであろうあの地に、あれだけの寺町を造るのは容易ではなかったと思います。
1200年の歴史
うわつ 様
歴史の重みはすごいの一言です。高野町は行政としては小さな自治体ですが、高野山の信仰で成り立っている。ほか奈良には天理市などがありますね。今回は青葉祭りだったので慌ただしく夜昼動きました。(笑い)信仰心か観光かの問題が残りますが・・・これからしばらく高野山アップとなります。
No title
 最初に勤務したところに、高野山大学出身の方がおられました。「とてもへんぴで4年間大変だった。そこは、真冬になると氷点下10度以下になるので、風呂から出て濡れたタオルを10秒そのままにしておくと凍ってしまう」と話されていました。
 私は一度も訪れたことはないのですが、画像を見ていると荘厳な建物が至る所にあり、また、参詣者もかなり多いようですね。宗教心というのは、とても強いことが分かりますね。

 私は、これから八十八カ所参りを始めなければいけませんから、この地を踏めるかどうか分かりませんね。(-_-;)

 それにしても、すごいタイミングでの電話でしたね~。驚きです!
是非
syoryuで~す。様
私は信仰心はありません。しかし、長男は八十八カ所巡りの先達で錦札のクラスの案内人でした。奥の院のすぐ手前に先達供養塔があります。姉はそこへ遺髪を納めに行きました。もう七年前です。そして6年前に弟も亡くなりました。その供養も考え、八十八カ所を巡ってきました。なにか、ほっとするような気がします。是非行ってください。
鬼城さんの信心は最高
昔、昔、わざわざ高野へ泊まって参ったこと、忘れられません。
あの参道は「日本史そのもの」ですね。
敵も味方も仲良く、高野に眠っていますね。
高野山
 一度だけ行ったことがあります。お墓参りの直後の当主様からの℡、結構私はこういう現象、信じる方です。
伯父が海上保安部で日本中転勤していた従姉が長く、高野山に住んでいて、その家がまだ残っているとかで、近々行くそうです。高野山は山のイメージ一色ですが、海も関係してるのかな?
読む力
木下博民 様
高野山の古文書、読む力があれば見てみたいですね。歴史の流れがよく分かるかもしれません。書いているように、織田信長のお墓(慰霊墓)は江戸時代には手前の方にあったのだそうです。高野山にとっては敵ですから・・・それでも祀るという弘法大師の御心の広さ・・・それが知らない間になくなり、昭和の時代に新しく奥の院前に出現しました。子孫の方が移されたのだろうと案内人は言っていました。来年は四国遍路1200年・・・再来年は高野山開山1200年の節目だそうです。
吉野の食いしんぼう 様
高野山が海に関係しているかどうかは分かりませんが、高野山町はほとんどの家がお寺関係か、それに付随した商売をしている方たちの家だとお聞きしました。しかし、夏は涼しく良いのですが、冬の寒さは半端ではないそうです。修行僧たちは大変な思いで修行を積んでいるんですね。宿坊のまかないの人たちは高野山大学の学生とか・・・食いしんぼうさん、食べ物に制限がありますよ。肉屋さんやお魚屋さんは裏通りでひっそりと営業しているそうです。
四国遍路1200年ですって・・・・
いささか眉唾ですね。平安期にはごく一部の修行者が回ったようですが、88ヶ所めぐりなんてなかったはず。一般が参るようになったのは太平な元禄頃からといわれますが、1200年は何処から計算したのでしょう。詮索する問題ではありませんが、いささか強引ですね。
No title
 これだけの町やら仏閣群ができるためには、かなりの資本がなければできないと思います。信者の寄進なのか、有力スポンサーがいなければ、かなわないことだと思います。人と宗教が大変近くにあり、信心する心が充ち満ちていた時代だったんだと感じます。伊達家の慰霊所まであるんですね。御当主の着信も不思議ですね。
千年昔・・・
木下博民 様
昨日のことも忘れかけているのに1200年前というのは、どうなんでしょう?高野山開山の記録は残っているそうですから、それを基準に四国八十八カ所の開山を推定したのでしょう。巡りが始まったのは江戸時代からですね。とにかく賑やかになります。
今年は神様の方も遷宮で賑やかなようですね、ツアーバスも出るようです。60年に一回の出雲大社遷宮、20年に一回の伊勢神宮遷宮・・・歴史は謎だらけで面白いですね。
パワースポット
tentijin 様
今?若者たちに人気のパワースポットだそうです。着信は不思議でした。伊達事務所の方たちが五輪の塔の文字を読み取っていましたが、風化もしていて、高野山の文書に頼る必要があります。しかし、戦国武将の慰霊のお墓はほとんどあります。子孫の方々が作られたと思います。ちなみにtentijinさんもいかがですか?座布団一枚の敷地をお借りするのに250万円だそうです。

管理者にだけ表示を許可する