宇和島城 | 鬼城

宇和島城

2013.06.07.Fri.12:00
夕日と宇和島城

6月6日、の夕日・・・
梅雨というのに晴れている。
愛宕公園からの宇和島城下はガスがかかったようにぼやけている。
宇和島湾は夕日の照り返しがきつい。


城1
 

宇和津彦神社からの宇和島城

6月5日の夕日
この日も晴れていた。真っ赤な夕日がまぶしかった。
冬の太陽はこれよりずーっと左手に沈んだ。
友人の「うわつ」との話・・・
愛宕公園からの宇和島城に夕日が重なるだろうか?


城2

6月6日朝の天赦園からの宇和島城

「うわつ」さんの構図をやってみたが、うまくいかなかった。
さすが、研究に研究を重ねたカメラマンと感心しきりである。

城3

杏と宇和島城

この杏には伊達家に伝わるエピソードがある。
二代宗利公には3人のお姫様しか誕生しなかった。
跡を継いだのは三保姫で仙台伊達家より宗贇公を養子にもらう。
次女の豊姫は松代藩真田家に嫁ぐ。
そのときに宇和島を偲ぶため「杏の鉢植え」を持参した。
それが現在では更埴市(現千曲市)の特産となっている。
姉妹と師締結の折、杏が話題になった。
宇和島には杏はなかった。
そこで更埴市より杏の苗木の寄贈があった。
これが「里帰りの杏」である。市庁舎前、天赦園、伊達博物館の偕楽園に植樹されている。
この真田家には幕末、宗城の長男幸民も養子に入っている。

城4
コメント
アンズとお城
あ~おしかったですね。もう少しカメラを下げたら、お城とアンズと花菖蒲が入るんですがね。
もう一度やってみてください。
又、又そうだったの~
 仕事で更埴市の子ども達との交流に係わったことがあります。杏のシロップ漬けがお土産にでした。杏の里としては知っていましたが、この様な歴史があったのですね。今、知りました。
 夕陽と宇和島城、幻想的です。
松代と杏
いつか松代(いまでは千曲と一緒になって更埴ですがやはり松代が似つかわしい)へいったとき、宇和島との関係(真田家と宇和島伊達家)について記念館で訊ねたことがありましたが、説明員は充分に話してくれなくて、ちょっとがっかりしました。
これは宇和島とて同じこと、徳川時代の真田家の最初と最後に宇和島が深くかかわりがあることなど、宇和島の人々、せめて観光案内する人が充分に話せるか、博物館にその説明資料が整っているか、どうか改めてお尋ねしたくなりました。
鬼城さん、昨日は大兄の慰労会がおありだった由、ご苦労様でした。
No title
 城と夕陽の写真はいいですね。テーマとして更に追求されるといいように思います。姉妹都市の関係で宇和島には杏がたくさん植えられていますね。実の数が少ないので、裏年かもしれませんね。それとも、実が落ちた後かな?
時間が・・・
うわつ 様
構図などは、行き当たりばったりが多くて、考えが足りません。(反省)香川の方へ行っていたので、菖蒲はもう終わっていますね。機会があれば来年挑戦します。
真田家
吉野の食いしんぼう 様
現在、歴史好きな女性の人気ナンバーワンが真田幸村だそうですよ。松代藩真田家はこの別れ家ですね。れっきとした正宗の血筋ですね。隔年で今も子供たちの交流はあるようです。
付け焼き刃
木下博民 様
仕事をっするようになってお客さんに説明する場面が多く、質問にも答えることができるようになりましたが、苦労しました。ボランティアガイドの皆さんも勉強しないと案内人の価値はなくなると思います。しかし、付け焼き刃のことが多いような気がします。行政が介入し、予算化なども必要ですね。
収穫後
tentijin 様
宇和島の土地が杏の栽培になじんでいたかどうかは分かりません。しかし千曲市から送っていただいた「杏」を太安部田ことがありますが、とてもおいしく、宇和島産とは比べものにならなかった。千曲市は400年ほどの歴史があり、名産として定着していますから、研究もされているのでしょう。
城と夕日でよく写真を撮っている人がいます。友人もその一人ですが、私はまだまだ修行中!(笑い)

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