梅雨時期 | 鬼城

梅雨時期

2013.06.04.Tue.18:00
この時期に杜鵑花(さつき)が満開
 
梅雨の季節の定番は「紫陽花」だろう!
ところが、散歩コースの愛宕公園の杜鵑花が満開である。

昨年はどうだったろう?
もう忘れているが、この時期に咲いていたらおかしく感じたに違いない。

梅雨とサツキ0
 

植栽

登り道の両脇には杜鵑花が植えられている。

梅雨とサツキ1

宇和島城と杜鵑花

昨日は曇り空だったので、夕焼けは見ることができなかった。
桜の青葉と杜鵑花と城・・・

梅雨とサツキ2

登り道

完全舗装をされ、昔は車で上ることもできた。
事故多発とユースホステル、公園の利用者の安全を考えたようで。
現在は大超寺奥方面からのみでユースホステルで通行止めとなっている。

梅雨とサツキ3

散歩コース

時間帯によって散歩をしている人たちの顔ぶれが違っている。
時候の話や挨拶を交わす程度だが、仲間意識も芽生える。

梅雨とサツキ4

梅雨入り

気象庁も当てにならない。
梅雨入りしてから雨の日は少なく、今日も真夏日のところがでている。
本格的な梅雨は、今月半ばからか?それとも空梅雨か?

梅雨とサツキ5
コメント
よそ者が
 このコース、春先に2度ばかり、野川に住む友人に案内され、ゼンマイ取りに出かけました。何人かのお散歩されてる人に会いましたが、やっぱり「よそ者が突然すみません」って気持ちになりました。とは言え、結構収穫があり、今年の秋祭りのご接待に使う楽しみが増えました。鮮やかに咲いていますね。写真と一緒だから読めますが、文字だけだったら「杜鵑花」読めません。
難しい漢字
吉野の食いしんぼう 様
 吉野生から野川まで・・・とは言っても松野町滑床万年荘(今は廃業)の土地は宇和島市でしょうね。昔、某町長さんが宇和島市と飛び地合併と揶揄されたとき、滑床からトンネルで結んだら飛び地ではないと言ったことを思い出しました。
 最近、書くことがあまりないので、あえて難しい漢字を練習することにしています。自分もこんな漢字は読むことができません。紫陽花くらいまでですね。e-454
 よそものどころか、今、会う方々も初めての方が結構大勢いますよ。収穫、秋にはごちそうに化けるんですね。
皐月躑躅
皐月躑躅、または五月躑躅、杜鵑の啼く頃に咲くから杜鵑花と書くのですか、いやはや東京の街中ではとっくに文学作品の中にしかない情景ですね。杜鵑は時鳥とも書き、「卯の花の匂う垣根に、時鳥、早も来鳴きて、忍音もらす、夏は来ぬ」、佐々木信綱「夏は来ぬ」の一節ですが、宇和島にはまだそのような感覚が残っているのですね。この歌は明治29年教育唱歌巻5。
教育唱歌
木下博民 様
私たち世代は「文部省唱歌」ですね。佐佐木信綱の名前くらいは知っていますが、明治は遠くなりにけりです。どこの行政もそうですが、一度作ったものはなかなか手入れしに風潮があります。当市もご多分に漏れませんが、下刈りだけはやっています。城山公園、愛宕公園、円山公園など散歩のメッカですね。
そうでしたね~。
 学生時代、宇和島YHでヘルパーをしていました。忘れていましたが、道の端にさつきが植えてありましたね。こんなに大きくなっているのですね。驚きですね~。35年以上前の話ですからね。
 それにしても、さつきを「杜鵑花」と記述することがあるのですね。「とけんか」と読むのだと知りました。また、さつきの漢名とありました。(勉強になりました。(^_^)v)
syoryuで~す。 様
学生時代のバイトから永住?なんとまあ、今初めて知りました。縁は異なものとはよく言ったものですね。YHも大分、古くなっています。ここの費用はどこから出ているのか、私にとっては謎です。まさか、独立採算ではないですよね。
さつき
花名を漢字で書くと難しくて読めません。私だけかもしれませんが中国人になったような感覚がします。
一般に使う文字にしてもらうと凡人にも分かりやすいです。
さつきも種類が多い花ですね。しかも交配して花名も増えています。将来は新品種が出すぎて研究者もお手上げになるのではと思います。
No title
 畑の作物なども雨が降ると一息つきます。この頃の花々は、雨が加勢して生き生きとしたいい色で咲いていますね。花の終わった桜や山の木々も、最も生命力の満ちた季節でいいですね。
教育唱歌
教育唱歌といえば、卒業式の「思えば尊し」や「蛍の光」、昨今はあえて歌わないようですね。
これを取り上げると昭和人間と笑われるようですが、これで師を尊び、学びの大切さを胸に刻んだ人々が日本を支えてきたのですから、昨今の流行歌っぽい歌詞や曲はいささかなんでこんな歌を歌うのかちょっと寂しいきがします。
鬼城さんはじめこのブログのお中間さんのご意見を聞きたいですね。
媚びる教育観
木下博民 様
 現場を離れて思うことは、最近の教育は子供に媚びるような方向性となっているような気がします。学校に行きたくないと言えば、不登校に・・・さすが改められましたが、円周率の小数のかけ算が難しいと言えば「3」に・・・文部省唱歌が古いと言えば「フォークソング」あるいは「ポップス系」に・・・授業時数が負担になるといえば削減に・・・
 これらの点は改善?されつつあるようです。しかし、育った子供たちの損失は計り知れません。時間の取り返しはできないのですから・・・・
「ゆとり教育」と言って「怠けた時代」
さきごろ「ゆとり教育」といって、子供の一番大切な時間を無駄に流していた教育ほどバカバカしい時代はありません。いつか、奇妙なおしゃべり大臣が「なんで一番でなければならない。二番でいいではないか」と嘯きましたが、人は全員一番に向かって必死に努力しなければならないのです。子供にゆとりなどといい加減なことをいって、大人が子供以上に学ぼうとしなかった付がいま現実に日本を醒めにしていて、他国に追い抜かれているのです。
学校の先生にコドモの推薦書を頼むといかにも結婚披露宴の祝辞のような似たような画一推薦状が届きます。真剣にコドモを見ているのかなと思ったりします。ちょっと言いすぎ、ごめんなさい。
進歩
木下博民 様
世の中の進歩は競争の中で伸びていくと思います。記録もなにか大正がなければ伸びません。良い競争ができる社会であってほしいですね。

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