桑の実 | 鬼城

桑の実

2013.05.12.Sun.09:00
桑の木

以前も紹介したが、私の散歩道の脇に大きな桑の木がある。普通は2mくらいだろうか。
この巨大な桑の木は、探してみると、このあたりに4本ほどある。
子どもの頃、ここら一帯は桑畑だった。
その名残がこの大きな桑の木になった。
梅雨の前にこの桑は実をつけ色づく。

クワ(桑)はクワ科クワ属の総称。カイコの餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用される。落葉性の香木で、大きいものは15mに達するが、普段見かけるのは数mのものが多い。樹皮は灰色を帯びる。葉は薄く、つやのある黄緑色で、緑にはあらい鋸葉がある。大きい木では、葉の形はハート型に近い楕円形だが、若い木では、葉にあらい切れ込みが入る場合がある。 ウキペディアより


桑1
  


桑の木はたかさもあるし、根回りも大きい。
あまり他にも見ないということから、愛媛新聞で紹介されたこともある。

桑2

今年は実の付きようが多い。
好みの色が黒くなれば、食べ頃である。

桑3

久しぶりの雨

桑の実もだいぶ色づいてきた。
昔、桑畑だった頃に実を食べたことがある。
お菓子があまりなかった時代のこと、美味しかった。
持ち主のおじさんが来て、口を開けてと言われた。
桑の実を食べると口の中、舌が紫色になる。
やさしく「食べるのは良いが、畑を荒らさないように」と言われたことを思い出した。

桑4

沢ガニ

桑の木の近くのアスファルトの上に雨に打たれ、沢ガニがいた。
脇によけないと車の下敷きになる。
住みにくい世の中になったと思っているに違いない。

沢ガニ

コメント
思い出がいっぱい
 桑の木もこんなに大きくなるのですね。子供の頃伯母の家が養蚕をしていて「おかいこさん」が桑をついばむ姿が私は言えなかったけど気色が悪かったです。(皆がおかいこさんと呼ぶので大事なんだな~と子ども心に感じてましたが) 桑苺はスカートに汁が付くと取れにくく、食べたのがばれて母に叱られました。
 沢ガニは、ちょうど子どもがお腹からぞろぞろ生まれているのを保育園の頃見たことがあり、幼いながら「生命の神秘」(ただ、ビックリしただけかも?)を感じた思いでが。
桑の実
桑の実は口にしたことがなかったな~食べておけば良かった。案外子供の頃に食べたら忘れないんですよね~
何かの拍子に思い出し、他のことも鮮明に蘇って来ます。
桑苺
吉野の食いしんぼう 様
桑の実と言っていたので、桑苺は知りませんでした。なるほど!ほんと、味は違うが、見た目は苺ですね。それも紫の・・・ブルベリーの色と似ています。なにか漢方的な薬効があるのかもしれませんね。
沢ガニも最近ではあまり見なくなりました。しかし、散歩コースの大超寺奥の道路には雨の後、出没します。交通事故対策が必要ですが・・・
繋がり
宇和津 様
記憶の連鎖ですね。桑の実→苺→野いちご→苺大福と言った具合に・・・桑の実の連鎖は、畑を荒らすなと言われたことが思い出です。来週あたり、紫色に色づくと思いますよ。大超寺奥の谷の右手の方です。
桑と山蟹とは散歩のコースでしょうが、私には大きな思い出があります。
桑は、このところ4年間毎日書いてきた三間庄屋の家史に、養蚕が出てきますので、その資料集めや見学で南予を何度も歩きました。はじめ、県の宇和島事務所の養蚕担当者を訪ねましたがよく判らず、野村や伊方、宇和と宇和島以外のところを訪ね歩きました。養蚕が宇和島の明治、大正、昭和初期の経済を支えていたことをちゃんと記録に残しておきたいものですね。
山蟹は、子どもの頃に覚えた歌「逃げ惑う赤き山蟹捕らえんと手を差し入れし水の冷たさ 中井コツフ」を忘れません。中井コツフ、ご存知ですか?この歌は薬師谷で詠まれたということです。
No title
 高校時代、美術と音楽は選択できる授業でした。小学生時代から真面目に音程をはずしていた私は、当然、美術を選択しました。当時の美術教諭も絵が上手いわけでもなく、製材所から檜の切り株を調達してきて、訳の分からない抽象的な彫刻をしていた方であったので、彼から単位をいただくために、当時の私が必死に考えたのが、小さな彫刻であった。お蚕さんを飼っているお家の裏庭辺りには、世代交代させた桑の切り株が山のように積み上げられていた。これをいただけば、材料費はただとなる。この切り株を鋸でひいて厚目の板にする。それにデッサンして大きめのブローチ風の飾りを彫った。もちろん、抽象の形である。今の私があるということは、その桑の木の切り株で作った飾りが、大きく貢献したということであろうか?養蚕業が日本の一大産業であった時代の名残での時代で育ったおかげで、様々な思い出が、私の頭にもしっかりと刻まれています。
記録
木下博民 様
記録は消えてしまうことが多いです。膨大なものがあると聞いたことがありますが、探すことができにくい現状とか。時間が無いとか・・・生糸産業は近代日本の産業の大きな役割を担っていたものですから資料は残しておかねばなりませんね。
中井コッフ、知っていますよ。城山の公園内に石碑がありますね。我が家から直線で200m位の所に鐸庵という建物があります。中井鐸平さんの住居だったところですね。江戸時代は勘定奉行稲井の屋敷があったところです。
桑の木
tentijin 様
昔から物作りの素質はあったんですね。それにしても桑の木の彫刻は聞いたことがありません。記事体は落葉樹なので固そうですが・・・蚕を飼っている時代はもう過去のことなんでしょうね。野村でも太鼓簿のやっているという話は聞きません。シルクロードの先の絹の産地はどうなんでしょうか?女性、最近は男性も着ている絹製品、希少価値からますます高価になりそうですね。

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