神田川遡行 | 鬼城

神田川遡行

2013.04.20.Sat.12:00
神田川・保手川河口

この二つの川が合流し、宇和島湾に流れ出る。
河口の幅は川の総延長に比べ、結構広い。
ここには通称予科練橋が架かっている。
右手方向に旧予科練があった。
そのためだろうか、宇和島は大きな空襲に遭っている。
別名「板島橋」、この橋についての思い出などに関しては木下廣民著「板島橋」で詳しく述べられている。

現在は宇和島道路(宇和島-津島線)の自動車道路用の橋も架かっている。
後方は鬼ヶ城山系・・・

神田川1

明倫橋

左手はこの橋の名前にもなっている明倫小学校である。
この小学校名は宇和島藩伊達家の藩校名「南予明倫館」から取っている。

河口より少し上がったところで保手川と分かれ、源流の大谷山まで一気に駆け上がる。
この橋は宇和島から南方面、愛南町から高知へ行く国道56号線に架かっている。
この橋の上流には「佐伯橋」「太平寺橋」がある。

神田川2

お通り橋

読んで字の如く、宇和島藩伊達家の御当主がお通りになった橋である。
この橋の右手には法圓寺があり、この寺の参詣のために通った橋である。
この付近には「大村益次郎住居跡」「楠本イネ住居跡」など幕末を生きた偉人たちの住まいがあった。

神田川3

妙典寺川との合流点

ここで二つの谷にわかれる。
流れが見えるだろうか?
ここから奥が妙典寺川となる。
写真は「勧進橋」から撮った。
勧進橋の由来は、地元住民達が勧進し、橋を架けたことに由来している。

この右手には三瀬諸渕の新居跡もある。
三瀬諸渕(周三)は二宮敬作の甥で楠本イネ(シーボルトの娘)の娘、タカを娶った。
新婚当時棲んでいた場所がこのあたりという。

神田川4

毛山橋

山の名前から取ったのか、毛山氏(宇和津彦神社宮司)から取ったのか分からないが、妙典寺前に行くための橋である。
橋の下の深場には、誰が放流したのか、分からないが錦鯉が泳いでいる。

宇和島市南側のお寺を整理してみよう。
光國寺、佛海寺、妙典寺、法圓寺、泰平寺、豆木大師と6ヶ寺もある。

神田川5 

散歩コースの大超寺奥

ここで川は源流目指して二つに分かれる。
左手は小又方面、宇和島藩伊達家の稲の苗床があったところである。
写真上は下流
右手は大谷山へ・・・
源流付近には大谷の滝がある。
水量が少なくなっているので市内からは見えにくくなっているが、大雨の後などでは見ることができる。

神田川6

分かれたところからの本流

ここから一気に山の方へ駆け上っていく。

神田川7
コメント
神田川
この川で子供の頃泳いでました。魚とりをしたりうなぎを釣って遊んでました。当時は子供が多く道路で遊んでいたのを思い出します。毛山橋の上は登校する小学生で道いっぱいになっていました。道も広かったけどずいぶん狭くなっています。学童が居なくなるのもそう遠くないように思います。
宇和島の空襲
宇和島が何度も空襲されたのは、予科練があったせいではありません。宇和島は豊後水道に面した小都市で、呉を襲う通り道であったこと、全国の空襲対象都市としてはじめから上がっていたのです。空襲対象は人口の多寡で決めました。しかも、奈良や京都のような文化的都市や別府のような占領後に役立つと思われたところは海軍の保養温泉地であっても空襲していません。隣の大分はやりましたが。
宇和島予科練は最後に原爆用模擬爆弾を落としていますが、これものこぎり型の工場用建物ですから、工場施設として落としました。なんで天守閣は焼かなかったのでしょう。意味がないからです。
板島橋については「きずな」に載せたいと思っています。
古戦場
うわつ 様
毛山橋あたりは通学路ですね。自分の家は大超寺奥だったので光國寺の裏道から帰っていました。通学路にはまだ田んぼがありました。泳ぎも川で覚えましたね。あの当時の友人達やいろんなことを教えてくれた先輩達、あんな組織や繋がりは何処へ行ったんでしょうかね。
予科練
木下廣民 様
空襲は予科練の所為と聞いたことがあり。誤解している人が多いようです。先日、宇和島空襲の記録や慰霊で貢献された水野さんが亡くなられました。記録や思い出など遺さねばならないものが消えつつあります。きずなで是非「板島橋」をお願いします。中学時代、予科練後に友人がいました。やぎを飼っていて、角を捕まえ押し合いを下経験があります。長屋があり、他一面は草原でした。もう半世紀以上の前の話ですが・・・
 橋には色々な歴史が残されているのですね。昨年ミュージカル「幕末ガール」を観に行き、イネさんが身近な人になりました。宇和島には興味深い人々の歴史が埋まってるけど、私が知らな過ぎです。
知らないこと
吉野の食いしんぼう 様
食いしん坊さんだけではありません。たとえばイネについてどれだけの人が知っているでしょうか?おそらく日本の国中で1%満たないのでは・・・他児島惟謙についてどれだけの人が知っているか?宇和島では有名人です。しかし東大法学部の卒業生に聞いても、何か聞いたことがある程度ですから・・・誰もが知っていると勘違いしています。宇和島人も少し考えねば・・・
予科練と誠敬舎
鬼城さん
ヤギを飼っていた連中とは予科練から故郷へ帰れなくなった連中7名が鵜飼司令の指導で練兵場を畑にして、糧秣小屋に住んでいた連中のことですか?
彼らのことは拙著「板島簸橋」に書きました。7人の内、健在なのは御殿町にいる鈴村季久氏のみになりました。もっとも鵜飼司令のお嬢さんはお元気です。
No title
 この辺りの場所は、思い出一杯の場所ですね。妙典寺川では、橇ごと川に転落、神田川では鮒をすくったり、亀をつかまえたり、赤とんぼを追いかけたり、悪戯の舞台でした。苦しい思い出もありましたが、鬼城様の文章を読んでいると、様々な歴史の舞台にもなっていたことを知り、目から鱗です。

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