四万十へ | 鬼城

四万十へ

2013.02.19.Tue.12:00
龍華山等覚寺

宇和島藩伊達家の墓所の一つである。
初代藩主秀宗が眠っている。
ちなみに正室の亀姫の墓は金剛山大隆寺にある。
山門は江戸時代の物、本堂等は戦争で焼けている。
両脇の松は多行松・・・

龍華山等覚寺

初代藩主秀宗の墓
立派な五輪の塔である。
現在、国の指定を受けるべく、レーザー測量及び事蹟などの資料の編集が行われている。

秀宗の墓

四万十川

時間が在ったので四万十川上流まで足を伸ばした。
予土線で高知に入った最初の駅が江川崎、底を過ぎると川幅が広くなっている。
下流では海の魚が泳ぐほど川幅、深さともに大河である。
しかし、水深は結構深い。

四万十1

沈下橋
生活の知恵と言おうか、歴史的な要因があるのかもしれないが、研究はしていない。
大水の時、橋がナがされないように、突起物などを取り去った橋、橋脚も頑丈である。

四万十2

生活道路
最近は、このあたりまで観光客が来ている。
この日も熊本ナンバーの車が・・・
ガードレールが無いので通るときは川の上を走っているような気になる。
直線だがハンドルを切ると水の中!
夏には若者達が橋の上から飛び込んで水遊びを楽しんで居る。
帰りにはお「さかな館」(淡水魚の水族館)の道の駅に寄り道した。
ここはにはガラス工房、農産物の生産者市場などがあり、賑わっている。

四万十3
コメント
No title
 等覚寺の江戸時代の山門じっくりと見てみたいですね。亀姫の墓は金剛山大隆寺ということは、夫婦別姓ならぬ、別菩提寺ということなのでしょうか?これは、贅沢?多行松は、一目で赤松であることが分かりますね。岩間沈下橋、アングルが違えば、こんなにも様子が変わるんですね。とてもいい写真だと思います。
沈下橋
私も沈下橋の撮影に行ってきました。テーマは「沈下橋と菜の花」「菜の花と沈下橋」どっちでも良いことですが、ピントを合わせているほうが、主役なのです。最近の撮影では主役をぼかす手法もあってややこしいです。まぁ、見ていただいた人が、いいな~ほっこりするな~と思ってもらえればそれで満足、感謝です。
規則なし
tentijin 様
 宇和島藩伊達家には規則は無いそうです。生前の申し伝えでもあれば別ですが・・・3代公のお母上は法圓寺ですね。息子は竜華と言った具合です。江戸では品川東禅寺が菩提寺ですね。各大名家は東禅寺が多いそうです。参勤交代の入り口?出口?
ほのぼの
うわつ 様
 ほんと、最近の宇和津産お写真は変わってきています。自分の仕事も変わったねと言われることが良くあります。この変わったというのは断るまでも無く、悪い方でなく、良い方にですよ。そうか、絞り優先で被写体の主体をを替えるのか。またまたご指導ありがとうございました。おしどり、素晴らしいかったですよ。
山門をくぐるとき
 竜華は若い頃よく行きました。山門をくぐるときはいつもドキドキでした。何せ、お茶の講習会で、皆の前でお手前を披露し、指導者の先生から教えを請うという緊張の時を過ごしました。茶名を貰うまでこの緊張に耐え頑張りました。
 解放された今なら、ゆっくり見学できそうです。沈下橋も色々な方向から見ると、趣が違うのですね。
稲荷釜
吉野の食いしんぼう 様
 よくは知りませんが、稲荷釜では無いですか?以前聞いたことがあります。お茶室はありませんが、竜華のお庭は昨年はじめて入りましたが、立派なお庭ですね。どこであれ、山門、三門?をくぐるときは緊張します。特に最近は・・・年でしょうね。(爆)
竜華山門の辺りの思い出
竜華の橋を渡って右に行くと野川、左に行くと花生園という一画があり、ここの恩師の家があって、よく訪ねたものです。野川にはすぐ市営住宅があって、その2階建て長屋の2棟が商業学校の寄宿舎に使われていましたので、こちらにもよく行きました。
橋の傍、野川よりに水車小屋がありいつも動いていましたっけ・・・
本堂が焼けてから一度竜華を尋ねて、五代村候時代の住職について教えてもらったことがありました。
昔はここは宇和島でも一番和む場所でした。
どなたか「近代宇和島名所案内」というテーマで写真を纏められるかたはおられませんかね。
No title
木下博民 樣
 水車、子どもの頃ありましたね。ただし大超寺奥ですが・・・名所案内、仕事が済めば、歩いてみましょう。先日、潮音寺、選佛寺の山をを訪れました。先生の懐かしいところですね。お楽しみにしていてください。市営住宅は現在、宅地に変わっています。昔友人が市営住宅に住んでいましたので、よく遊びに行きました。
 家と家之行き交い、また地域での遊びなどなど、現在では考えられません。寂しい限りです。

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