大隈重信記念館 | 鬼城

大隈重信記念館

2013.02.07.Thu.12:00
佐賀へ

仕事で佐賀入りをしたが、早く着きすぎ、まずはご挨拶をと佐賀県の偉人「大隈重信」の大隈記念館を訪れた。
館長さんがおられ、わざわざ御案内を頂いた。
この建物は大隈公の顔を表せているとか。
上の窓二つが目、ひさしは鼻、入り口は口を表している。
正面の上のステンドグラスは早稲田大学総長の時、愛用していたえび茶色のガウンを表す。
現、早稲田大学のスクールカラーでもある。


大隈1

大隈公旧宅(生家)

築200年、保存状態も良く残されている。
普段は立ち入り禁止だが、館長さんにご案内頂いた。
国の史跡指定である。

大隈2

客間
歴代の総理の揮毫

大隈3

隠し階段があり、大隈が子ども時代に勉強していた屋根裏部屋
階段は急である。

大隈4

大隈公の旧宅説明板

大隈5

大隈重信像
記念館の胸像もそうだが、口を引き締めた顔立ちは頑固そのもの。
負けず嫌いなことは自他共に認めるところである。
生涯、自分より字がうまい友人が居たことで、大隈自身の書いた物はほとんど残されて無い。
代筆者が書いたという逸話は有名である。

大隈6
コメント
代筆者
お勤めお疲れさまでした~(^_^)
佐賀の偉人は何人かは思い出せますが、大隈重信に代筆者がいたことは知りませんでした。
あのころの友人・・・・はて、誰でしょうか?頭に浮かぶのは副島種臣くらいです。
佐賀7賢人
うわつ 様
 誰が代筆をしたかは聞きませんでした。葉隠れの武士道の盛んな佐賀は維新後に政府の要人になっていますね。薩長は勿論ですが、表舞台ではなく、これだけの賢人が居るのかという感じです。
 7賢人とは「鍋島閑叟」「佐野常民」「島義勇」「副島種臣」「大木喬任」「江藤新平」「大隈重信」だそうです。中には知らない人もいます。
 覚えることが多く、以前の智恵(もともと乏しい)がこぼれて無くなってしまっています。(笑い)
No title
 大隈と言えば、早稲田の創設者、爆弾テロに遭った政治家という情報しか私の頭の中にはないが、自分より字の上手い人間がいたので、以後、いっさい字を書かなかったという逸話の持ち主であることは知らなかった。ほんに頑固なお方だ字を書かずにすませ、暗記することでそれを補い克服したということであったようだが、何とも並外れたものだと思った。
どうか若いうちです、大いに旅してください
私は、佐賀へは素通り記憶はありますが、まったく丹念に歩いたことはなく終わりました。
いいところですね。つい、先日も佐賀を舞台にした劇映画を見たところでした。松本清長の「張込み」ですが、当時とはすっかり変わっているでしょうね。
『宇和島と佐賀』の関係先人をこの際列記されるのも面白いですね。児島惟謙が法政関係に生涯を尽くすのも、元はといえば脱藩して佐賀に走った勢です。江藤新平なども宇和島に来なかったら官憲に掴まることはまだなかったかもしれません。

知らないこと
tentijin 様
 この年になっても知らないことが多い。それを全て知ることはできない。まっ、楽しみながら勉強していきましょう。写真では上げませんでしたが、足を切って義足を付けた大隈、その義足も展示してありました。アメリカ製で精巧にできていました。個人の記録でこれだけの博物館運営ができるのですから、やはり歴史上の人物なんですね。
関連
木下博民 様
 現代でも過去でも人と人の繋がりを探るのは面白いと思います。佐賀県人も宇和島人も似たところがあります。お話しの佐賀の乱の江藤新平は土佐へ抜ける途中に宇和島の滑床を抜けたとか。記録によるとその道案内をしたのが、我が家の母方のじいさんだったと子どもの頃に聞きました。江藤新平は、いまでこそ7賢人ですが、当時は犯罪者の扱いでした。ばあさまが、人には言われんぜと言ったことを思い出しました。
記憶が・・・
 仕事の引率で一度旧宅を見学したようなしないような?代筆の話は初めて聞きました。又一つ物知りになりました。(これを忘れたらもともこもありませんが)最近までは、吉野ヶ里遺跡の見学が多かったので、佐賀の印象はこちらが強かったです。
吉野ヶ里
吉野のくいしんぼう 樣
 佐賀と聞いて吉野ヶ里という方は、最近多いです。印象に薄い街なんだそうです。研修で嵯峨野方と一緒になったことがありました。佐賀市はと聞くと福岡県とか長崎とか言われるそうですよ。佐賀牛、嬉野茶、伊万里焼き、唐津などなど有名なところはたくさんあります。訪れた感想は「広いところだなあ!」 

管理者にだけ表示を許可する