どんど焼き | 鬼城

どんど焼き

2013.01.15.Tue.15:00
鏡開きとどんど焼き

新聞を見ると、鏡開きの日にどんど焼きをするところが多いようだ。
鏡開きは11日、どんど焼きは15日のようである。

どんど焼き
ドンド焼きは十五日に行われる火祭りで、正月に飾った門松、注連縄、書き初めなどを焼く行事で、十五日に行います。左義長ともいいますが、三鞠打、三毬杖、三本張、と書いて、それぞれサギチョウと読ませます。新年に毬を杖で打つ行事があり、その杖を三本組み合わせて、燃えしろを寄せかけて火をつけたことから、その名がついたともいわれています。また、ドンドというのは、爆竹の音や火の勢いを形容していうようになったようです。
ドンド焼きの火で、餅や団子を焼いて食べたり体を温めると災厄をまぬがれるとか、火にあたると若返るとかいわれていました。火が高く上がるほど吉兆だともいいます。       冠婚葬祭マナー-百科より


鳥居をくぐると煙が・・・

どんど焼き1

何かわびしい行事

境内の一角にコンクリートの焼き場を作り、そこで焼く。
火事の心配と行事を行う氏子さん達の負担軽減策であろう。

どんど焼き2

お飾りを預け、本殿にお参りに行く。
階段のうえから撮った一枚・・・

どんど焼き3

氏子の方々によるお飾りの鏡餅を焼いたぜんざいの振る舞い。

どんど焼き4

松の内に飾られていたお飾り
注連縄、海老締め、輪締め、古いお札など焼却している。

どんど焼き5
コメント
ありゃ
 蓋を開けるとこんな焼き場があるなんてちょっとびっくりですね。ぜんざいがふるまわれるなど、行事を大事にしている方があるのはホッとします。私の一番の注目は「火にあたると若返る」の言い伝えでした~。来年から行こうかな~。v-8
少子高齢化
吉野のくいしんぼう 様
 氏子、氏子総代、氏子総代長の組織があり、各町内からの役員がいるようですね。しかし、宗教ですから無理はできない。それと役をするにも仕事があればなかなかお手伝いは不可能です。お手伝いをする方達も高齢化です。こんな行事もだんだん無くなって行くのでしょう。
 初詣は甘酒、どんど焼きは善哉ですよ。おいでください・・・
これは一宮さんの境内ですか
昔、一宮さん境内のあ焚き上げ場で、ご真影の載った新聞や雑誌を生徒の家から集め、学校から櫃にいれて持参し、ここで焼く行事がありました。昔は、お守りや依り代同様新聞の写真でも粗末にはしませんでした。
書初めの文字も同様にここで炊き上げるのは、文字の大切さを古人が教えている証です。私は昨今床に書かれた宣伝用の文字をみてもそれを踏むのに抵抗があり、よけて通ります。
「書初め」をなぜお守りと同様に炊き上げるかを考え、「文字の大切さ」を今の子供たちにも丁寧に教えて欲しいものです。
書写
木下博民 樣
 一宮様です。この焼くところの反対側に児島惟謙の石碑(平成20年建立?)が建っています。この場所には社務所がありました。本殿、向かって左手にはお神楽殿があったと思います。子どもの頃、春祭りにはお神楽がありましたね.軽快な動き、お盆で舞う姿をマネして座布団で・・・懐かしい思い出です。
 さて、現在の教育で一番欠けていることは、規範意識ですね。次は書くことだと思います。なぜ必修にならないか不思議です。筆と墨を使って書くこと・・・ここらで言っても話にはなりませんね。
とんど焼き
とんどとかどんど焼きなどと言うそうですね。さぎちょう何とか?各地でいろんな呼び名があるそうですね。
私も裏の宇和津彦神社に行きました。
早かったんですね
うわつ 樣
 私が行ったのは9時過ぎでした。もう山積みになっていましたから、うわつさんが行ったのが早かったんだろうと思います。恒例行事の一つですね。この火で餅を焼く行事もあるとか。所変われば品変わるで日本は広いことが分かります。
一宮さんと児島惟謙碑の関係を教えてください。
児島惟謙の生誕地跡が堀端だったことは昔から知っていましたが、昨今、上り立ち門脇に銅像が建っていて、どんな縁かと思ったのですが、一宮様に児島惟謙碑とはどのような関係があって決められたのでしょう? 実は竹陰筆塚碑にしても、昔から何故ここに建っているのだろうと思ったことがありました。
碑ってものは不思議なものですね。
理由
 児島惟謙の忠魂碑に関しては、児島家の依頼から氏子だった宇和津彦神社にのお話があり、建立されたそうです。竹陰筆塚碑に関しては旧宇和島の自然と文化(P125)に掲載されています。なぜという話を最近よく耳にします。理由がある場合、適当にと言う場合など種々様々なようです。
No title
 左義長に近所の神社に注連飾りと古いお札類を持って行ってきました。どんど焼きは、暗い中で焼く印象があるのですが、時間は何時頃なんでしょうね。たくさんお仲間が紙袋などに入れられて山積みされていました。我々の心に信心の心が薄れてきて行事も少しずつ寂しくなっているように思えますね。
風習
tentijin 樣
 日本のいい風習がどんどん無くなっていくような気がしてなりません。簡略化もその一つですね。鬼北のいい風習は残して欲しいですね。25年前と変わっているでしょうね。

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