宇和島唱歌 | 鬼城

宇和島唱歌

2012.12.16.Sun.18:00
 小学校時代の友人が訪ねてきてくれた。そのとき、この宇和島唱歌のコピーを頂いた。紙切れ一枚は、すぐ何処に行ったか分からなくなる。そこでブログに載せることにした。


町名讀込 宇和島唱歌                         小林葭江 作歌

 1 伊豫の南に位置占めて 土壌豊かに夏冬の 気候温和の宇和島を 唄へよ人よ世の人よ
 2 三方山に圍(かこ)まれて 往來(ゆきき)は難(かた)き町なれど 港開けて町人の 情けは深し海よりも
 3 さて此の町の成り立ちは 三十有餘の數(かず)にして 三千餘戸(よこ)に住む人の 數は一萬三千餘
 4 愛宕の山に鎮座する 宇和津の神のみ社(やしろ)へ 詣るついでに御廟所(おたまや)の 靈(たま)弔いて慰めん
 5 音に聞きたる大石の 町に續(つづ)きし笹町は 家居まだらになりぬれど 名士出せる譽れあり
 6 住む人の名を其の儘に 取りし賀古町、鎌原の 次に並ぶは中ノ町 ともに昔の士族町
 7 高き天守を眺めやる 堀に沿ひたる堀端や 官衙(かんが)の集ふ其の町は 人の心も廣小路
 8 櫻町には咲く花の 影こそ見えぬ滾々(こんこん)と 流るゝ水の音絶えぬ 神田川原影涼し
 9 誰れ富澤か知らねども 足に任せて御徒町 細工さへせぬ佐伯町 薬研堀(やげんぼり)とはあれかよと
10 元結掛は來村に 續く最後の町にして 濱を行く度元結いの 木に掛かりしと傳(つた)ふめり
11 踵(きびす)を跡に廻(めぐ)らして 田のもに沿える伊達氏(うじ)の 廣き天赦の園訪(と)ひて 四季折々の花めでん
12 鳴神落ちし雷の 長屋を左手(ゆんで)に眺めつゝ 渡る豊後の橋の上 吹くは蓮花の夏風か
13 木の葉小暗(おぐら)き城山の 松吹く風も音高く 昔の樣を目のあたり 見る心地する天守閣
14 この城圍(かこ)む丸之内 並ぶ戸立(こだち)は何々ぞ 富豪の築く別莊や 小學校や新聞社
15 草むら深き三之丸 今は家居と變(かわ)り來て 淋しき山家の古あとも いと賑はしき和靈宮
16 御多門(おたもん)過ぎて追手口 濠埋もるゝ新開地 町屋居並ぶ軒々に 商ふ品も夥(おびただ)し
17 唯一つある勸商場(かんしょうば) 融通(ゆうづう)劇場あとにして いつ大榎抜きたるか 知らぬ呆気(うつけ)の樽屋町
18 寺に名高き龍華前 大工に因(ちな)む鋸町は 我が宇和島の山手と 言ふべき位置を占めたりな
19 街目正しき本町の 裏は裡町、前はまた 行き詰らねど袋町 濱に賑ふ濱通り
20 北に見上ぐる潮音(ちょうおん)や 西江(せいごう)、選佛、寺々の 下を流るる辰野にて けじめ立ちたる北の町   
21 其の裾にある横新の 上は辰新、川向(かわむこ)は 向新町(むかいじんちょう)、横堀や 戎町さへ居並べり
22 船繕(つくろ)へる船匠の 住まひせざれど船大工 町のはづれの下村は 中間(なかいだ)よりの輻輳地(ふくそうち)
23 流れも清き須賀川に 架けたる橋は御幸橋 彼方に齋(いつ)き祭りたる 社は和靈の本社(ほんやしろ)
24 吁(ああ)わが友の住まひたる 風光明媚の宇和島は 浮き世の塵に汚れずて 獨(ひと)りけ高し何時までも

                             【小林儀衛・編輯兼發行『南豫案内』(明治43年11月3日 發行より】

              〈註〉原本から轉記するに送り假名など讀みやすきやう多少あらため、加へたりしたところあり。
                   2の第一句「三方〈山〉に」は、元版は「三方〈海〉に」とあるのを私に訂した。(川崎 宏)

楽譜(宇和島唱歌)
コメント
町名
宇和島の良き時代の町名ですね。由緒ある町名を変えてしまったのは残念です。以来城下町らしさが失われたように思います。
宇和島町時代の町名読み込み歌ですから、今の人にはなんとなく馴染まないでしょうね。
「三方海に囲まれて」はまちがいでhななかったと思いますが、川﨑は大正以降の宇和島市外をイメージしたのではないですか?城を中心に考えたら三方海で良いと思います。例えば、10番の元結掛の歌詞が今の人に理解できますか?17番の観商場のあったところなど、宇和島の近代商業の出発点ですから、跡地に記念標くらいあっていいのですが、宇和島人はあまり意識しませんね。
旧宇和島町名に興味ありならば、もう一歩すすめて、「横町」名を捜されることを期待します。
残念ながら私は、5歳までは下村伊吹町、6歳からは「朝日町三丁目」「朝日町4丁目」「須賀通」の暗い長屋で育ちましたから、旧宇和島の町名が十分に印象にありません。裡町、本町、袋町、そして内港前の通りは何と言いましたっけ?そんなまっすぐな通りしか記憶にありません。この歌には城の西と北の町名が出てきませんよね。また海か埋め立てだったせいでしょう。
感謝!
うわつ 様
 誰かが残しておかないと、消え去る運命ですから・・・宇和島はいろんな建物、文化が消え去っています。戦争や天災で消えた分は仕方が無いこと。しかし、それが市民の不注意でとなると大変です。捨て去る物、残しておくべきものを選ばねばなりませんね。うわつさんの写真もその一つですよ。
横町
木下博民 様
 その横町に興味を持っている高校時代の友人が居ます。これから資料を集めたいとのこと。協力していきたいと思っています。まっ、博物館業務が済んでからのことになりますが・・・宇和島のことを知っている年代は私たちが一番下の年齢でしょうか。もう少し上の方かもしれません。つまり戦前の方達・・・残す努力をしなければ成りませんね。また気がつかれたことがありましたらご指導ください。
No title
なかなか興味深い歌ですね。いったいいつ頃の時代に作られた歌なのでしょう。歌詞を読むと、大変語呂が良い作りになっていますね。私の明治生まれの親も何かの詩編を書いたものを読むと、1から10までこの歌のように語呂の良い言葉が並んでいました。韻文なのでその方が良いのだと思いますが、時代を感じる気もします。戦後にそのような雰囲気もどこかに残っていたかも知れませんが、やはり、以前のものなんでしょうね。
南予案内
tentijin 様
 明治43年とありますね。自分たちの年代でも知らないことが、あるようです。やっと、聞いて荘だったのかとなります。そんな風に記憶の片隅に追いやられることが多いようです。少しでも残して行けたらなあと思います。
 今日、アップするのは宇和島鉄道唱歌です。これもずーっと昔のこと・・・三満駅や三間の名前の由来など出てきます。面白いのは自分が聞いたのは「美沼」がなまって三間と・・・この歌では御馬(駿馬)がなまって三間となったとあります。乞うご期待を!
No title
 明治43年頃と言えば、歴史的にはどんなことがあった時代なのでしょう?遠い昔の大切な資料ですね。子供の頃宇和島と言えば、夏には「帽子とサンダル」冬には防寒の「ボックス」を買い換えて貰える汽車で行く夢のお町でしたが今や、車で25分です。
松野町
吉野のくいしんぼう 様
 時間的には近くなりましたね。松野町は宇和島圏域なんですよね。子どもの頃、夏は梅が成峠を越え、必ず滑床へ行っていました。沢で遊ぶのが楽しみでした。特に霧が滝が好きな場所でした。今では滝に当たる岩がなくなったため霧が発生しないとか。
 今日の新聞は選挙一色でしたが、そんな中に松野の緑の中の暮らしが出ていましたね。タレントの清水国明さんが「四国国明塾」を設立したという・・・河口湖、京都府、静岡県に次いで4番目の塾だそうですね。チェーンソーで材木加工、非常に興味が湧きます。
 今夕、アップする「宇和島鉄道唱歌は、宇和島から松野までの懐かしい駅名が出てきますよ。期待してください。
 明治43年の出来事は「大逆事件」「朝鮮植民地化」「銀座プランタン開業」「自動車保有台数121台」などなどですよ。

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