師走 | 鬼城

師走

2012.12.01.Sat.12:00
宇和津彦神社の紅葉
今年は遅く、11月下旬だった。
写真をと考える間もなく、雨風が・・・時期を過ぎてしまった。

紅葉1
 

愛宕公園中腹の紅葉
斜面に生えていて、枝振りはすごく良い。
しかし、毎年見ていると、一部の葉が枯れた後に紅葉する。
温暖化か、それとも樹齢の所為か?

紅葉2

須賀川縁の銀杏
川面に垂れている。
桜や梅、桃は普通だが、銀杏は珍しい。

紅葉3

和霊神社境内の大銀杏
ご神木で注連縄飾りもきちんとしてある。
この日は交通安全の祈願か、車が二台銀杏の下に入っていた。

紅葉4

西予市城川町「城川ギャラリー」下の紅葉
友人に招待券を頂いたので、閉幕の直前に駆け込んだが、紅葉は終わっていた。

紅葉5

城川から高山の「はま湯」に
面白い夕焼けだったので、シャッターを切った。

はま湯
コメント
夕景
良いシャツターチャンスに出合えましたね~ 風景は、その時しかチャンスがありませんから、逃さないのも技量ですね。面白いと思ったら、先ず撮ること!!と教わっています。
和霊神社の大銀杏
和霊神社の大銀杏、懐かしいですね。
鶴岡八幡の大銀杏は左にあって今はありませんが、和霊さんの大銀杏は右にあり、懐かしい風景です。
須賀川の土手の公孫樹は気付きませんでした。森安橋の上、左岸にあるのですね。森安橋から上は昔からの河川で、下は昭和初期に現河川に付け替えられたのですが、当時を思い出します。80年ばかり前の話。
ご指導感謝!
うわつ 様
 面白いと思ったときには、カメラ無しということが多いんですよ。大超寺奥で鹿にあったときも、イノシシにあったときもカメラを忘れていました。そこで絶えず、コンデジは持参しているのですが、こんな時に限って出会いがない。(苦笑) まっ、腕が未熟なのでシャッターチャンスしかないですね。
No title
木下博民 様
 神社には銀杏が似合うようですね。鶴岡八幡宮の銀杏などは鎌倉時代から? 倒壊しましたが、残念ですね。和霊神社には、となりが勤務先だったもので、よく行きます。建立され位置は5回変わっているんですね。松山短大の佐々木教授が調べられています。
◆森安(年代不詳) この名前は現在、橋の名前として残っている。
◆承応2年(1653年)檜皮杜(ひわだのもり)、秀頼は山頼和霊神社を建立する。
◆明暦2年ないしは3年(向山(現・城北中学校のいらずの森)
◆寛文7年(1667年)森安
◆享保16年(1731年)ないしは享保20年現在地、鎌江城跡の一部
昭和20年空襲により焼失、その後再建され現在に至っている。
2年前に
 野川に住んでいる友人に誘れ、2年前に紅葉1・紅葉2同じ風景を見たことがあります。愛宕公園に腰を下ろし、ツワブキの花のそばで友人がお茶の野点をしてくれました。あの辺、桜の季節も良いし、食いしんぼうにはゼンマイも気になる所です。そこまで足を伸ばして山菜採るのは嫌われそうですね。
石蕗の草原
吉野のくいしんぼう 様
 野点ですか? あの場所は毎年、石蕗の花が咲き誇ります。紅葉のちょっと前ですね。ぜんまいはあったかな?石蕗は花は群生しますが、小さいので食用にはなりません。あの場所は紅葉の枝振りも良いし、桜並木もきれいで四季を楽しませてくれます。
鬼城さんにお尋ね
城北中学に勤務しておられたのですから和霊神社の変遷記録にお詳しいと思いますが、あの入らずの森が和霊大明神の祠だったという記録が実際にあるのですか?噂なのか、実際なのか、実は私はあの小山にこっそり上ったことがありますが、小さな石の祠があって、何方かが祀っている形跡はありましたが、中学の先生で徹底的に調査した人は居られないのですか?
子供たちにどういう教育をされておられるのですか?あの場所が学校になる以前、綿布工場だった時代は良く知っているのですが、そのときはあの小山をどのように扱っていたのか?
あの小山、取り除こうとすると厭なことが起きるのでやっていない、といいますが、いまの子供にそんなことを教えているのではないでしょうね。
とにかく判りません。
いらずの森
木下博民
 森安橋をわたり、あの一帯は鎌江城に属する森の一部だったようです。その場所に山家清兵衛が政宗の命令で貸付金を米で返せという命令を受け、米倉を建てたところです。これは石碑も残っていますから証明できます。碑銘は「奥州国分・・・」までの文字は読めますが風化しているので、あと読めません。さていらずの森ですが、もともと在ったようです。平成8年に新校舎を建てるとき除ける話も在りましたが、署名活動などで残すことになりました。ここに和霊神社を移築したという記録は、確認していませんがあるようです。その名前は「向山(小山)」だそうです。和霊神社は現在地に到るまでたびたび変わっています。明治時代には今の須賀川の所は土地分で「神田」なども在ったようです。そのときの川が現在は道になっています。川はずーっと市内寄りだったのですね。
 研究をした人はあまり聞きませんが、ネックは神社の文書類など非公開なので難しいと思います。それと秀宗の時代の古文書など山家に関するものは、すべて焼却されているようです。新しい発見があれば面白いのですが・・・
No title
 馴染みの宇和島の風景になって、安堵感があるのは、心は、鬼城様と共に京都を旅していたのかもしれませんね。いい景色に出会うのは、誰かからのプレゼントのような気がします。おもしろいですね。
プレゼント
tentijin 様
 うまいこと言いますね。誰かからのプレゼントですか。それも巡り合わせではないかと思います。tentijin三との出会いも巡り合わせですね。若い頃巡り会っていたらもっと違った景色になるかもしれませんね。
 時の流れは速く、師走です。孫(次男)の誕生日も今週末です。指折り数えていたんですが・・・二本足で立つことができはじめたとか。次は前へ一歩です・・・
ぜんまい
吉野のくいしんぼう様 愛宕山はぜんまいの宝庫です。昔は近くの人が採っていましたが、最近は採る人を見かけなくなりました。思うに、贅沢になったのと、ぜんまいの処理法を知らない人がおおくなったのでしょう。筍すら冷凍しなくなったのですから、解凍方法が分からんという。贅沢になりました。
ぜんまい
うわつ 様

 情報ありがとうございます。実は数年前、友人に誘われて花見に行った時、ガードレール下に群生を発見、頂戴して帰り、母が喜んで加工しました。それからは余りよそ者が荒らしてもと遠慮しております。おっしゃるとおり、私も処理法は飲み込んでいませんが、習っておこうと思います。

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