宮出し | 鬼城

宮出し

2012.10.31.Wed.08:00
南予一宮宇和津彦神社秋の祭礼宵宮

出陣を待つ三体の御輿

平成24年10月29日の秋祭りの宵宮には明日の本番を迎え、神社では準備がすでに整っていた。
このあと、お練りの奉納が行われる。

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本殿より三体の御輿が出される。

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御輿の書き手が行幸の安全を願い、各団体ごとに決意表明をする。
御輿を舁(か)く担ぎ手の方々は、氏子は勿論のこと宇和島市内の若者達が結集する。
松山市からの参加者、応援もあるとか。
ここでも少子化の影響が・・・

宮出し3

御輿を差す。
差し上げるの意味とか。

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石段を降りる一の御輿

宮出し5

最後の階段を降りる御輿
氏子達の住んでいる場所を半日掛けて廻る。

氏神様とは何だろう?
 氏神(うじがみ)は、日本において、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のこと。同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士を氏子(うじこ)という。現在では、鎮守(ちんじゅ)ともほぼ同じ意味で扱われることが多い。氏神を祀る神社のことを氏社という。
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コメント
いよいよ最後の秋祭りですね。
一宮様の祭がおわると宇和島は気ぜわしき暮の準備になると昔から良く言われました。
お練が年々整備されてゆくと豊かな証だと昔は思ったものでした。戦争ですっかり変わりましたが、昔は鹿踊りも裏町一丁目のほかに堀端でもやっていたようですが、その辺の記録はありませんか?大正14年の鶴島神社創建10周年記念の映画に出ていますが。
No title
神輿には出会いにくいですねー。担ぐのも白装束で、せめて半纏であれば手を合せたくなります。
そういうもんじゃないのかな~・・・・・・私だけかな~?
祭礼絵巻
 今年度、西条市総合文化会館が各地域の祭礼絵巻について出版しています。その中に宇和津彦神社祭礼絵巻と博物館蔵の祭礼絵巻の一部が出ています。著者は武蔵大学福福原敏男教授です。冊数が少ないので当館は先生より、1冊寄贈を受けました。
 これからどんどん記録も失われるのでしょうね。
担ぎ手
うわつ 様
 昔は・・・の世界ですね。今では担ぎ手も少なく、装束のことを言っていたら御輿は担げないのです。いろいろな装束は、他の地域からのお手伝いの方達ですね。また、牛鬼保存会の方々の手も借りていると思います。
 二、三年続けて人力車のようなモノで行幸した年もありましたが、非常に寂しかったです。その当時には八幡様はトラックでしたね。それだけ人が少なくなっているのです。
御神輿
 やっぱりお祭りには御神輿ですね。こちらでは最近見なくなりました。?
 保育園の手作りのは目にしましたが。「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日♪♪」の鎮守、意味も解らないまま歌っていた事が今解りました。
御輿
吉野のくいしんぼう 様
 鎮守は守り神なんですが、学校教育ではなかなか歌うのが難しい。つまり宗教色が強いからですね。「村祭り」は良く歌いましたが、寂しいことながら、今では思い出の片隅ですね。
 担ぎ手捜しですね。御輿だけでなく牛鬼も・・・子ども御輿や子ども牛鬼は、最近多くなりました。今回の撮影中にも出会いました。非常にうまくできていました。
No title
 元気のよさそうな若い衆ですね。1度、深浦の祭りに参加したことを思い出しました。御輿は1トン以上もあり、10人でかくと決まっていました。御輿をかくには若さを失い過ぎていたので、牛鬼で我慢しましたが、御輿が華でしたね。深浦のあの急な長い階段を下りて行くのは大変な危険が伴います。上からロープでささえながら、ゆるゆると下りて行きます。午前8時に神社を出発して、帰ってくるのは、午後8時過ぎでした。海端らしく鰹船に乗って海にまで出ていきます。「アーラーエッサ、アーラーエッサ」のかけ声でくるくると御輿を回す様子は、とても勇壮でしたし、かき手の陶然とした様子もよく、なかなかの祭りでした。牛鬼も、櫓も、御旅所毎に飲みながらの12時間労働で、大変疲れたのを覚えています。今では、やはり、かき手探しが大変だそうです。
お客
tentijin 様
 招かれた家を40分ほど居て、迎え太鼓に挨拶するため席を立ちました。毎年、迎え太鼓は「鬼城太鼓」なんです。ハンドルネームと同じ事から自称FANの会会長を自称しています。しかし、今年の出演は無しでした。その代わり、勇壮な宮入を見ることができました。担ぎ手は、ほとんどの者が一杯機嫌で盛り上がっていました。若さはいいですね。

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