しおかぜ | 鬼城

しおかぜ

2012.08.28.Tue.13:00

高速双胴船「しおかぜ」

日振島航路に昨年11月23日就航した。

流れるようなフォルム、真ん中の出っ張りは波よけだそうだ。
豊後水道の中を走るのだから波風は半端ではない。
特に冬場は島民にとっての足となる重要な船である。


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きさいや広場

用事があって「きさいや広場」にいった。
久しぶりに盛運汽船の前の波止場に行ってみた。
知り合いに丁度出会い、乗ってみませんか?と誘いを受けた。
もともと、技術畑、断る理由は無い。

写真は操舵室


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まるで自動車の運転席を思わせるような機械。
すべてコンピュータ制御で動いているそうだ。
舵は車のハンドルのようである。


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運転中は出ることのできない後部デッキ
目の前を九島フェリーが・・・
2015年には九島架橋によってこのフェリーも廃止される。

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新幹線と同じ座席シート

座り心地は最高である。
普通なら前面はガラスなのだが、冬期運行では波しぶきや風で割れることを想定し、壁となっている。

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機関部

残念ながら出航時間が迫っているので、降りることはできなかったが、エンジンルームである。
左右二つのエンジンによってバランスよく動く。

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後部荷物置き場

普通の旅客船ならこの部分はない。この島通いの船の特徴なのである。
つまり、捕った魚の集荷場所で宇和島の漁連に納めるための魚介類置き場。
命を結ぶ生活の船と言っても過言で無い設計と航路である。

採算はとれないようだが、是非続けてもらいたいと願う。

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コメント
No title
 今夏は尋ねてみたいと思っていた日振島実現できませんでした。新しくなった船の乗り心地はどんなものなのでしょう。今となっては、あの、白波が立った海を揺られながら渡った日が懐かしくて・・・。大きな船には酔ったけど、この高速艇にはどんなに揺れても酔いませんでした。
No title
吉野のくいしんぼう 様
技術の進歩はすごいですね。アルミが中心の船でしょうが、これだけの金属の塊が、海上を疾走するのですから・・・とはいっても、何十トンもの塊が空を飛びことを考えると・・・(笑い)
島の人たちにとっては、命の架け橋なんでしょうね。昔から比べると、なんとまあ、時間的に近くなったことか。高速しかり、空のぶんしかり・・・新幹線(四国には無い!)
散歩から帰ってきて食事を済ませたあとですが、雨脚が半端じゃあ在りません。何で今頃?まっ、渇水状態の東北地方に比べたらましか。
うらやましい
田んぼは、乾く間もなく稲は泣き続けています。そのうち、ふてくされてグレてしまうのではと心配していますが、こればっかりはどうしようもない。
今では干ばつが羨ましい。自然に左右される百姓モドキは勝手なものです。
離島
九島は橋ができれば離島でなくなりなすが、日振島が離島でなくなることはまだまだ暫く先でしょうね。
この船しゃれていますね。スピードが出ると船体が波の上を蹴って走るのでしょうね。手漕ぎで宇和島ご城下まで魚を運んだ時代が夢のようです。
これならば船酔いなってしませんね。
昨今のようにITによって時間と距離の感覚が違ってきた時代には、離島という旧来の価値観を改めなければならんでしょう。
それよりも昨今老人を情報難民という言葉がはやっていますが、ますます孤独という離島へ追いやられていくのは老人でしょうね。そうならないように頑張らなければと思っています。 
No title
百姓モドキ 様
 特に宇和島地方は天候不順のようですね。この雨模様、梅雨時みたいです。今日も雨空でうっとうしい気分です。しかし、東北地方は、ニュースを見て驚きです。早明浦ダムの映像は毎年と言うほど見ていますが、それ以上の干ばつですね。江戸時代であれば一揆の原因になるでしょうね。
 泣く子とおてんと様には勝てません。体調を整え、畑や田んぼに出てください。
架橋
木下博民 様
 4年前の選挙の時、架橋によるメリットとデメリットが争点になっていたように思います。今になって考えれば、より便利になる方が良いと思うようになりました。思ったほど人は行かないと思います。出る人は便利ですよね。時化ていても宇和島に出てくることができるのですから・・・ほんとに時代の変化は驚くべきものがあります。批判はあるにしても四国に3本の橋が架かったこと、宇和島まで高速道路が通ったことなどなど・・・これからどのように変化していくんでしょう。
 ただ、未來を生きる子ども達に歴史的な意義だけは残さないと・・・
たぶんだんだんさんも中は撮っていないと思う。快適な船旅をする人も少ないと聞きます。のんびりとした船旅のほうが好きです。瀬戸内海の古~い小型フェリーなんか情緒があふれています。山田洋二の世界です。
ノスタルジー
うわつ 様
 お帰りなさい。今回も良い出会いや良い写真でした。自分の記録になりますから最高ですね。

 盛運汽船の関係者の方にお願いしました。昔ながらの木造船の復活と赤松遊園地の海水浴場の復活・・・無理だとは思いますが、きれいな海へ祈念をこめて・・・南海の狼煙で小林旭がギターを抱えて寝ていた姿が思い起こされます。夜がまた来る♪♪♪思いで釣れて♪♪♪(笑い)
No title
 佐田の岬にも、昔、定期航路(確か「八幡丸」)があり、住民の足になっていました。道路は、「国道197号線」、通称「行くな酷道」、しばしば転落事故が起こるくねくね道でした。バスで三崎までは、2時間以上かかる便(三机回り)もあった気がします。八幡丸は、海をまっすぐ走るので、1時間くらい?だったように思います。急ぐときはバスより船という不思議な時代でした。1時間を切って三崎にたどり着く高速艇が就航した時は、1時代が終わった感じ、さらにメロディーラインができた今では、急げば40分で三崎まで行けるようになり、八幡丸も高速艇もなくなって、また、1時代が終わったのかもしれません。九島架橋の時代がすぐそこまで来ているのですね。
寂しさ
tentijin 様
 今日は休みだぞ~! 仕事で疲れ果てていますが、職員皆同じだから我慢我慢の一言です。明日から9日までは大仕事の連続です。気を遣うことが多く、体力勝負よりも精神力勝負です。
 四国も陸続きに成り、フェリーは廃し・・・道が付けば船は要らない。なんとまあ便利で失うものが多いことか。おまけに原子力によって火力は停止・・・それが現在では復活している。価値観の変遷は不定ですね。三崎の八幡浜までの高速艇、記憶にあります。

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