虹 | 鬼城

2012.08.26.Sun.13:00
天候不順の夏

例年に比べ、雨の多い夏だった。
そのせいか、猛暑日は無かったように思う。
日本列島、異常な暑さに見舞われた東日本・・・

暦の上ではもう秋、しかし暑さはぶり返すに違いない。
霧雨の降る中、鬼ヶ城にかかった虹・・・


行く夏1

樋の中で咲いた高砂百合

友人にこの花は外来種で強い花と聞いていたが、これほどとは思わなかった。

行く夏2

大超寺奥で見かけた虹

行く夏3

夏の終わり頃になると百日紅が満開になる。

散歩の途中の古木

行く夏4

写真の表題を付けるなら差し詰め「百日紅と虹」だろうな。

行く夏5 
コメント
私は宇和島でも田舎っ子ですから山の手の散歩ができて幸せです。
私は下村中間育ち、朝日町の新開地から第四尋常小学校へ通った宇和島ご城下からは軽蔑された田舎っ子、この歳になって大超寺奥など散歩でき幸せです。大超寺には昔お侍の別荘があったと聞きましたが・・・・
 今夏は私もよく虹を見ることがありました。いつ見ても綺麗ですね。私の散歩道はとても平坦ですが、鬼城さんのコースはちょっとハードな山道が含まれてるのでしょうか?ダイエット効果ありそう。数年前は高砂百合は花泥棒するのに気がひけていましたが、あまりの繁殖振りに、最近は罪の意識が薄れるほどです。(言い訳?)
No title
木下博民 様
第四尋常小学校は今の住吉小学校でしょうか?第一が明倫、第二は鶴島とは知っていますが・・・さて大超寺、小さい頃からの遊び場でしたが、別荘は聞いたことがありません。調べてみます・・・今度の大仕事が終わったら、薬師谷の桑折家の別荘まで登る予定です。結構奥だとか・・・大超寺奥の散歩、始めて2年と8ヶ月になります。継続は力、体調は良くなりました。
吉野のくいしんぼう 様
前々から疑問に思っていたこと。吉野のくいしんぼう とぼうがひらがなと坊と感じの場合があります。使い分けているのか、それとも最初に打った時のものが続いているのか?です。
ウォーキングは毎日やらなけりゃあ、嫌になってしまいます。木下先生のコメントにも書きましたが、よく続いていますよ。山に近い場所ですから、嫁さんは「山帰来」の苗とか、単衣山吹、ユキヤナギの苗など自然に生えているものを畑に植えています。茶花系統ですね・・・当然、繁殖力の強い、雑草畑の中の高砂百合も我が家に来ました。(笑い)
この道は
3年前ぐらいだったか?行けるところまで行ってやろうと、サンバーベンツトラックで登っていきましたが、最後の方は私道で整備されて無く、且つUターンできなくなり、かなりの距離をバックで冷や冷やしながら運転したことを思い出します。

高砂百合の増殖はスゴイですね。先日、バスで高速を走ったときに堀切になっているところに3カ所、余りにも下策なと思うほど咲いていました。ほったらかしなので増え放題です。

近所のカナコゆりも一株だけだったのが10株以上になっている。雑草でも球根類は強いが、ユリ類もそうですね。
ササユリの優雅な群落であれば嬉しいのですが・・ね。
異常気象
百姓モドキ 様
 台風の影響と言っても長雨ですね。いくら百姓モドキといっても仕事がはかどらないと思います。今年のこの地方の猛暑日は無かったのではと思います。エアコンが要らなかった日も多々ありました。

 そんな中で植物だけは季節感があるのか無いのか、花を付けます。外来種は特に強い。高砂百合は繁殖力は背高泡立草の如きですね。昔から清楚で美しい者は少ないと言いますから「笹百合」などははびこらないでしょう。
No title
 肝心な時、カメラを持っていなかったりで、撮影する機会を得ていませんが、虹の写真、良い感じにとれていますね。宇和島も大超寺奥まで行くと、自然がいっぱい残っていて、四季折々の自然に癒やされる散歩コースですね。今年の異常気象は、猛暑と雨の多さのように感じます。極地の氷が随分減って南極、北極の生物に異変や危機が近づいているというテレビ放送を見ました。異常気象も毎年続くと、いつか当たり前のようになって怖いですね。
コンデジ
tentijin 様
 何時ももって歩くのは、コンパクトデジカメです。ケースがベルトに付けるようになっていますから便利です。何かイベントで取ろうとするときはデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)です。

 今、書斎でパソコンの前ですが、涼しい風が吹いてきています。台風の風でしょうね。異常気象は世界中の日常化となっています。中国あたりが二酸化炭素の排出を抑える必要があるんですが、発展中ですから難しいでしょう。とにかく道徳意識、規範意識が必要ですね。

 ブログ、非常にすっきりしました。写真も非常に良いですよ。
10年一昔という言葉がありますが・・・
鬼城さま
第四尋常小学校は和霊尋常小学校、住吉校の前身は第五尋常小学校です。
和霊校は60人クラスが五つあって一学年でしたから、60×5×6=1800~2000人の学校で、のちに大浦の第五小学校を現在の場所に移して和霊校の校区から朝日町界隈を分離させました。
小学校には第一(現在の明倫)から第二、第三、第四、第五と昭和初期にありましたが、第四と第五は八幡村の学校で、第一、第二からはランクが下だとあざけられていました。とにかく数詞だと第一が一番いい学校だと親がいうのです。それで明倫と和霊、住吉はいちはやく数詞をやめましたが、第二は襟度あって最後まで数詞で通しました。第二というのも城山の南麓にあって面白い学校でしたね。はじめは女子の小学校で、「男女七歳にして席を同じくせず」だったのでしょうか。
学校史
木下博民 様
 教育史に関しては三間のI先生がまとめられています。宇和島の学校史は面白いかもしれませんね。各小学校には学校沿革史なるものが保管されていますから、一覧表などにしてまとめると面白いかも・・・これは個人ではできませんから、どこかの部署がやらないと行けませんね。和霊を忘れていました。八幡村なんですね。大超寺奥辺は丸穂村でした。石碑が残っています。
 子ども達、今は見る影も無く少子高齢化の一途をたどっています。
各小学校に詳細な教育史があればありがたいことですが
鬼城さま
何年か前和霊校へ昭和初期のことを調べようと訪ねたことがありましたが、不十分なもので驚きました。100年史(?)だったか、お借りしたことがありましたが、教員記録も間違いがあり、昭和初期にどういう教育をやったのか、さっぱりわかりませんでした。記録がないのかもしれません。
記録は思いついて書くものではなく、責任者が丁寧に日々つづっておかないと残りません。
三間の池本さんが教育史を纏めておられるのですか?大いに期待いたします。
No title
木下博民 様
 教育史は日本の教育の変遷・・・学校は沿革史です。これは永久保存でどこの学校でもあると思います。以前務めた学校では原発反対運動により、子ども達が学校に来ていないという記述もありました。学校内の出来事ですから外部との繋がりの情報はあまりないようです。
 公開か非公開にもよりますが、並べて比較するのも面白いかも知れませんね。
学校記録でも公的な記録
学校記録でも公的な記録ですから、永久公開できぬということはありませんよね。
昭和前期、学校が戦争へどう傾倒していったか、調べたかったのですが、和霊校では資料不明でした。
残念なことです。いつか、昭和前期のこの学校を子供の目を通して可能な限りかいて書きましたので、いつか発表できればと思ったりしています。
格差
木下廣民 様
学校沿革史は各校によって詳しいものとただ行事を並べただけのものといろんなタイプがあります。おそらく、ほとんどの学校が細かいところまでは記入していないと思います。公開はどうなっているか分かりませんが、何に利用するのかはっきりしていないとだめでしょう。また教育委員会や学校側の判断が必要な場合も考えられます。つまり個人情報が記入されている場合です。ここらを精査しないと・・・何とも言えません。

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