走り込み | 鬼城

走り込み

2012.07.29.Sun.18:00
走り込み

いつの時代から始まったものか、不明だが明治の頃にはあったと聞いている。
山家清兵衛公の霊を慰めるため執り行われる神事である。
最近では先乗りの山車が競って川に入る。

走り込み1

川のほとりには松明が燃えさかる。
暑い夏の夜を彩る風物詩。

御幸橋には提灯が並び、迎え太鼓や牛鬼の御練りが舞う。

走り込み2 

松明隊に引かれ、川を進む3体の御輿。

走り込み3 

川沿いに沿った道には神事の行列が進む。

走り込み4

うまく撮ることができなかったが、川の中の御輿

走り込み5

調度、御幸橋の下手に高さ約20mの舞笹が立っている。
若者がこれに上り、御幣の争奪戦を繰り広げる。
走り込み最大の山場である。

写真は舞笹の廻りを舞う御輿。そして取り囲む松明隊・・・

走り込み6

舞笹

舞笹に取り付いている青年・・・
下方には差し上げる補助の青年がいる。

走り込み7

今年はここで力尽き、御幣は奪えなかった。
過去にも余り例が無いとか。

走り込み8 
コメント
No title
 あまりの人並みにゆっくりつぶさに走り込みを見たことはありませんが、舞笹は、かなり高く危険な神事ですね。神事の意味合いなどにも興味が出ました。
走り込み
 私の友人は明日が誕生日のお祭り大好きの夏女です。十数年前には確か、この走り込みにも参加していた記憶が。女性にも許される行事なんですね。御弊が奪えなかったとニュースでも言っていました。草食系男子が増えたからでしょうか?最後の1枚、みんなの熱気が伝わってきました。
走り込み
この神事は大和田建樹も明治34年(1901)の陰暦6月24日(太陽暦では8月8日)のことを『忘れに影』『宇和島日記』『むかし今』に丁寧に書かれています。拙著『大和田建樹ノート』参照。
私は昭和10年(1935)の走り込みを宇和島商業『学報』15号に書きました。
当時の走り込みがどういうものであったかご覧いただければよくわかります。いずれも宇和島中央図書館にあるでしょう。
走り込み行事がどのように変わっていったか、丁寧にお書きになった方がおられれば拝見したいものです。
「宇和島郷土史」を書いて後世に伝えられる方がもう出てもよいと思いますが、どうでしょう。
和霊大祭
tentijin 様
走り込みはクライマックスですが・・・

舞笹は陸上でもやったようで、墜落し、大事故になった秋祭りもあったそうです。勇壮ですが水の上だからできるんですね。人出ですが、相当減っています。昔のように身動きできない、人の頭で見えないということはありません。写真も遠景なら何処でもOKです。それだけ魅力が少なくなっているんでしょうね。
舞笹
吉野のくいしんぼう 様
途中であきらめ、今年は語弊奪取にならず、残念でした。何か規定があるようで、竹の高さは15m以上とか。今年は見た目でも異常に高く感じました。20m以上在ったのではないかと・・・
迎えの山車の中には女性のみのものもあるようです。牛鬼パレードも女性牛鬼が在りますね。草食系では太刀打ちできない・・・v-290
敷居が高くて
木下博民 様
神事が絡みますからなかなかのようです。これも民族学の分野ですね。江戸時代はどうだったか?和霊信仰についてはいろんな方が少ない資料を基に書かれていますが、祭りそのものについては、あまりないようです。

ただ故松本麟一氏の資料が世に出ていませんから、これに頼る方法があります。さて誰か動いて頂けるとありがたいのですが・・・

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