折りたたみ自転車
2012.05.17.Thu.12:00
今から13年前、単身赴任中の頃、住宅と仕事場が離れていたのと飲み会などで街まで出なければならなかった。そのため飲み会の度にタクシー代がかかり大変であった。また、職場でのお付き合いも有り、このときもタクシーで帰宅。これは経済的にもたまらないと折りたたみ自転車を購入した。今では飲酒運転になり大変であるが、当時は大変重宝した。車の後ろに乗せているだけで安心。その自転車も13年も経つとギヤチェンジは壊れ、坂道など乗るのにも息が切れる。充分お世話になったので買い換えることにした。今回の折りたたみ自転車は「アルミ製」で軽くできているものを選んだ。またいろんな楽しみ方が広がる。
慣れ親しんだ折りたたみ自転車
私も今、自転車通勤です。折りたたみです。「車に積んで遠出したときにそこで活用する。」というコンセプトでしたが、未だに実現していません。
歩くのもいいのですが、自転車もこの時期いいですよね。
前の折りたたみはバネが入っていたのでクッションがよく効いていました。今回のものは直ですから、尻が痛くていけません。改造が可能なという触れ込みで購入しましたが、帰って高くつきそうな予感がします。風を切って乗りこなしたいと思っています。
ただ、取り締まりをしないと言うことだけで、事故に遭うとちゃんと過失を問われていましたよ。
自分は会ったこと有りませんが。
S58年度から自転車飲酒運転のN・Y先生が心配でした。(笑)
飲酒運転も違反対象でしたか?無灯火で指導されたことはありました。まっ、酩酊運転をするところまでは飲むことができませんから心配は無いのですが、心配な人も居ますね。
市内は自転車よりも歩きの方が多いです。美容と健康のために・・・
自転車の思い出、いろいろあります。旧友でサイパンで戦死したKは、戦争が始まって最初の作戦、シンガポールへ突進した銀輪部隊で手柄を立てましたっけ。
商業1年のとき、朝日町の芝橋(当時は住吉小橋と言っていました)からの下り坂で、M君の家の職人さんの大人の自転車を持ち出して2人で練習したことがありました。そのとき私は転んで右脛をざっくり怪我し、叱られましたっけ。以来、自転車怖いで、生涯自転車に乗りませんでした。ただ、商業学校のとき、毎月伊達家事務所へ奨学金をお借りにゆくのは、昼休みに自転車通学の後輩の自転車を無断拝借して、天神町から本町、広小路、伊達家へ通ったことがありました。帰りの本町の道が下り坂ですから、ペダルを踏まなかった記憶があります。
宇和島と自転車の私の思い出です。
懐かしい話ですね。自分たちの頃は車の普及はまだまだでバイクも出始めの頃でした。自転車は必需品なんですが、高価なものというイメージがありました。今では値段はピンからキリまであり、使い捨てのような気がしないでもありません。その分、大事にしない所為か盗難も多い。人身事故も多くなっています。数ヶ月前、先輩の先生が中学生の自転車にはねられ亡くなりました。便利な世の中だからこそ気をつけなければならないことも多々ありますね。
その翌日、松山で新聞をみましたら、まさに宇和島湾に入っていた外国船の船員が路上の自転車を盗んでいたことが載っていました。やたら自転車を路上放置していた時代の話で、いくら暢気な宇和島でもいまはそんな人はいないでしょうが、犯人は路上にあるものは捨てられたものを拾ったという感覚だったのでしょう。
余談、110番したら県警本部(松山)が応答して、宇和島の地図を全く知らない警察官だたので、それを驚いたことも忘れられません。つい昨日のような思い出ですが、宇和島も変わったでしょうでね。家は必ず施錠するでしょう。九島もやがては施錠するようになり、皆さん慌てられるでしょう。
昔の映画に「自転車泥棒」がありました。なにか救いの亡いような切ない映画でしたが、印象深く残っています。貧困故に泥棒をするか、現代社会のように商売として盗むかの違いは大きいと思います。自動車窃盗団などもNHK特集で出ていましたね。
いまでも110番は一括管理で県警に繋がります。しかし、住所などは衛星(GPS)が在りますから大丈夫ですよ。
宇和島の自転車泥棒は、私のいつでも第一発見者としていつでも証人になりますよ、と電話まで訊ねられて答えておきながら、警察は捕まえても全くひとことも連絡ありませんでした。宇和島の警察官とはそんな程度でしょうね。
「緑の風も爽やかに~」とか「お使いは自転車で気軽に行きましょ~」なんて歌も好きです。その割には。新採の年、校下の自転車屋さんでママチャリ買って、3日め位に坂で転倒し、ペタルが取れた、情けない思い出も浮かんできました。
我が家には母の電動自転車がありますが、やっぱり、自力で風をきって乗りたいですね。
もののない時代に作られたものには味があります。想像力と言っても良い。現在見ても充分素晴らしいものだと思います。映画の歴史をたどるのも面白いかもしれませんね。
警察は盗難などは捜査対象なんでしょうね。それに関わっていくほど暇では無いと言うことかもしれません。盗品が出てきたら連絡するという感じでしょうか。
自転車は高級品だったという感じがします。値段的にも今と変わりが無いように思えます。高校入学の時買ってもらいましたね。現在は技術の進歩でアルミとかステンレスなどさびない素材が使われているようですが・・・安売りのものは鉄製ですからさびてしまします。電動自転車ですか?坂道を登っていく人を見ると楽そうですね。しかし美容と健康のため普通自転車で我慢しましょう。風を切って走って行く「青い山脈」時代ですね。
Hは、戦後に新聞社をやっていて、宇和島の文化発展に頑張っていましたが、癌で亡くなりました。
いい男でしたが、少年時のこの話だけは、私に話したことがなく、死後、昭和初期の古新聞に出ているのを見て知ったほどです。当時の新聞は少年であろうとうとすべて実名で出ていました。厳しい時代でした。
彼と小学六年で亡くなった彼の友人の冥福を祈って書きました。
自転車事故は痛ましい。過去2回ほど中学生がぶつかり相手の方が亡くなったことを経験しています。運が悪かったというだけではいけません。自転車も乗り方(マナー)が大切ですね。厳しい時代も必要だし、あまり厳しくても身動きとれないし、バランスが大事ですね。
昨日、自分もよそ見をしていて、ハンドル操作を誤り、跳ね飛びました。うまく着地したので大過は在りませんでしたが、右太ももを打って、少々腫れています。あのとき、車でも来ていたらとおもうと「ぞっ」とします。気をつけて乗りたいと肝に命じた次第。