黒部の太陽 | 鬼城
鬼城
黒部の太陽
2012.03.24.Sat.16:30
石原プロモーションと三船プロダクションがタッグを組んで日本映画の復活を掛けた映画
大作「黒部の太陽」(1968年)制作が初めてハイビジョンテレビ放映された
故石原裕次郎の遺志でこの映画は大画面で見てもらいたいということから放映されなかった
残念なことに作品は完全版でなく、編集版であった
個人的にDVD用のラベルを作成した
再配布は禁止
「黒部の太陽」の実行力こそいまの課題
この映画が創られたすこそ前、日本で始めて超高層ビル(霞ヶ関ビル)が出来て、この建設話が、やはり裕次郎が主演で映画化されましたね。映画の題名は忘れましたが、この興行成功に乗って作られたのが「黒部の太陽」でした。
懐かしいですね。
大作
木下博民 様
今では大作映画と言うよりもスケールの大きな脚本という評価ですが、当時は有名な大物スター出演のものが多かったですね。特に各社に絞られていた枠を外してプロダクションができ始めたときでした。三船・裕次郎・錦之助の3人がそろい踏みした「風林火山」、錦之助と三船が出演した「祇園祭」、裕次郎・勝新太郎共演の「富士山頂」と目白押しでした。この中で本当の幻の映画が「祇園祭」ですね。京都の映画村に聞いてもないと言うことでした。ないとなると尚見たくなるものです。まずは黒部の太陽、堪能してください。
「黒部の太陽」を特別上映した思い出。
私がNEC府中工場の厚生課長でしたとき、この映画の製作者の一人中井氏(友人だったか、友人の紹介だったか忘れましたが)に頼んで、封切り中評判のこの映画を、工場の講堂で特別上映したことがありました。
「封切り」という言葉がいまも通じるかどうか知りませんが、新しい映画を一企業に運び込んで臨時上映することはありませんでした。
あの映画に興味があったのは、関西電力社長が「70%の可能性があれば事業は断行する」という信念でした。
また、この事業の大型トラック運転手に出稼ぎしていた運転手を後年私の会社に雇って私の車の運転手に使ったこと、その男が運転中に何度も黒部の話をしてくれたこと、彼は胃癌で死にましたが、最後の最後まで黒部の思い出を話しながら働いてくれました。とにかく国家事業だったのですから。
監督は熊井啓だったと思いますが。
No title
木下博民様
中央地溝帯という意味を詳しく知ったのがこの映画でした。石原裕次郎が説明する場面で箸を折る。このシーンが印象的でした。この映画を見る前に私は吉村昭の「高熱隧道」を読んでいましたので非常に興味津々でした。難工事中の難工事で日本人の技術料を示した大工事でしたね。
さて現代はこの技術力も危なくなってきています。競争のない教育、ゆとりと怠惰を間違えるような教育、不登校は全て病気で片付ける教師や親・・・なんか切ないですね。
黒部の太陽、充分いまでも通用する大作ですね。
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懐かしいですね。
今では大作映画と言うよりもスケールの大きな脚本という評価ですが、当時は有名な大物スター出演のものが多かったですね。特に各社に絞られていた枠を外してプロダクションができ始めたときでした。三船・裕次郎・錦之助の3人がそろい踏みした「風林火山」、錦之助と三船が出演した「祇園祭」、裕次郎・勝新太郎共演の「富士山頂」と目白押しでした。この中で本当の幻の映画が「祇園祭」ですね。京都の映画村に聞いてもないと言うことでした。ないとなると尚見たくなるものです。まずは黒部の太陽、堪能してください。
「封切り」という言葉がいまも通じるかどうか知りませんが、新しい映画を一企業に運び込んで臨時上映することはありませんでした。
あの映画に興味があったのは、関西電力社長が「70%の可能性があれば事業は断行する」という信念でした。
また、この事業の大型トラック運転手に出稼ぎしていた運転手を後年私の会社に雇って私の車の運転手に使ったこと、その男が運転中に何度も黒部の話をしてくれたこと、彼は胃癌で死にましたが、最後の最後まで黒部の思い出を話しながら働いてくれました。とにかく国家事業だったのですから。
監督は熊井啓だったと思いますが。
中央地溝帯という意味を詳しく知ったのがこの映画でした。石原裕次郎が説明する場面で箸を折る。このシーンが印象的でした。この映画を見る前に私は吉村昭の「高熱隧道」を読んでいましたので非常に興味津々でした。難工事中の難工事で日本人の技術料を示した大工事でしたね。
さて現代はこの技術力も危なくなってきています。競争のない教育、ゆとりと怠惰を間違えるような教育、不登校は全て病気で片付ける教師や親・・・なんか切ないですね。
黒部の太陽、充分いまでも通用する大作ですね。