宇和島城と藪椿 | 鬼城

宇和島城と藪椿

2012.03.22.Thu.20:00
被写体としても何度も取り上げるが、宇和島市の象徴である宇和島城。全国12残存している天守の内の一つ。最近ではBS朝日で城ミステリー(藤堂高虎築城の城)で取り上げられている。自慢ではないが、宇和島城は12ある天守の内、一番整備されていない城である。このような城が好みの通の方も多々居られる。私もその一人であるが・・・どこの城でも植栽されている桜は別にして、宇和島城は藪椿の群生が著しい。高さは20mほどのものもある。築城された頃は危機は茂っていなかったと思うが、鳥が運んできたものと推測される。
 
鶴島城

五代村候の頃、鶴翼の屋根とか、鶴が渡る時、羽を休める城と名付けられたとか
今では藪椿が群生している
さしずめ椿城

藪椿2

最近ではバイオの力でいろんな色や形状をした椿が開発?されている
何度見ても私は一重の藪椿が好きだ

藪椿1

城を見る角度

みーつけた!
電線が入らないこと
真正面、真横、真後ろでないこと
木々を入れて写真になることを条件に場所を探した
これは田中循環器前の信号の道の真ん中で望遠で撮影した
いーい城です(自画自賛)

宇和島城
コメント
鶴島城礼賛
昭和初期までは、「宇和島城」とは誰も言わず「鶴島城」でした。宇和島の城は鶴島城だと小学校の副読本にも出ていますし、このほうがなんとなく情緒がありました。「伊達は十万石、鶴島城主。・・・・」てな宇和島小唄が盛んに歌われた時代、それが昭和初期の宇和島です。1922年11月25日、摂政宮殿下(昭和天皇)が皇族としてはじめて宇和島に来られ、半日滞在されました。その間に、鶴島城の天守閣まで、もちろんご自分の脚で登られました。宇和島中学(現、東高)校庭では、南予小中学生が集まって、奉迎歌(このときただ1回歌うために作詞作曲されました。いま、残っています)まで歌われました。天赦園では潜淵閣でご昼食、そのあと庭を散策、中ノ島東屋前の腕組みされて寛がれた写真は市民が渇望しました。このような和やかな写真は戦前は絶対に国民の目には触れないものでした。貧乏人の我が家でも、家宝になっていました。空襲でも焼けず、いまもあります。
いまは住宅が建ち並んでいます鶴島公園では宇和島のお練が殿下の行啓を祝って練りだし、ご覧頂ました。そのときに新調された裏町の八つ鹿踊りの衣装の図柄はいまも踏襲されています。現在の衣装は戦後新調したものとか。これまでの五つ鹿をこのときから八つ鹿にしました。このとき皇太子のお立ちになった場所には記念碑がありましたが、いまその記念碑は南豫護国神社境内に移されています。
お城が突飛な方向へ脱線しましたが、私は学期試験の最終日には城山に登って木の間隠れにぼぞむ港が好きで、和みました。
このお城、写し方によって不安定な感じがします。西やや北依りから見あげる位置が私は好きです。そろそろ桜が咲きます。「桜と天守」の傑作を期待しています。
天守閣と藪椿
 木々の向こうに見える天守閣、立派!宇和島城を愛する鬼城さんならではのベスト角度からの撮影なのですね。
 
 私も、椿は藪椿が一番好きです。備前焼の一輪挿しに藪椿を入れると、どっちもが生えて満足することしばしば。
山好きの私は、梅が成登り口の藪椿のトンネル路もお気に入りです。v-433
鶴島城
木下博民 様
響きが何とも言えないですね。姫路城が白鷺城、熊本城が銀杏城などという別名があるように宇和島城と言うより鶴島城がいいですね。しかし、観光宣伝のためには宇和島城でなければならないのではと思います。先生の好きなのは市庁舎の8階から見る角度ですね。機会があれば撮ってみたいと思います。
昔は山男
吉野のくいしんぼう 様
大学時代は山岳部でした。ホームグランドは石鎚、夏は剣岳、冬は大山、春は剣岳ですね。剣岳点の記は懐かしく、楽しんでみました。先日の黒部の太陽も懐かしさで一杯でした。鬼ヶ城山系も昔は・・・(笑い)結構登っていました。花巡り登山も良いですね。今でも欠かさないのが、篠山のシャクナゲ及び曙ツツジ観察登山です。

椿トンネル、行ってみたいですね。椿はくいしんぼうさんが言われるとおり、藪椿、それも一重が最高です。千利休も愛したと言われています。
No title
 宇和島城の別称が鶴島城とは、知りませんでした。大変優雅な命名ですね。木下先生は、本当に生きた歴史のような方ですね。花の落ちる様が、無愛想なので、武士には嫌われたようですが、私にとっては、椿の花の蜜が、少年時代の御馳走の1つっだったという記憶があります。「花より団子」ですねえ。椿の実は鬼北では「固し」と呼ばれていますが、これも子どもの遊び道具でした。石の代わりに投げたり、パチンコで飛ばす弾となったりしていました。藪椿の林の向こうに視界が開けると見える城はいいですね。以前に遠くの山から鳥瞰的に撮られていた山城風の宇和島城が、私は気に入っています。また、様々な四季のあるいは、趣向のお城を紹介してください。
椿の実
tentijin 様
椿のみを「固し」と言うんですか?「固し」という言葉は聞いたことがあります。投げやいをして当たるとけがをするくらい固いですね。今なら危険なので遊びは禁止ですね。よき時代でした・・・
お城はどこのお城も好きです。先日、彦根城に行きましたが、ここの城も歴史があり、良いお城です。特に天秤櫓が気に入りました。
tentijinさんのブログ充実してきましたね。楽しみです。
鶴島城

  本校の名前は、「鶴島城」からいただいていると館長さんから聞いています。また、木下博民様から貴重な情報をいただきました。
 4月13日にNHK松山放送局の番組の中で放送されている「校歌の旅」の収録がにあります。自信を持って、「本校の校名は、鶴島城からいただいた名前です。」言えます。それだけ、宇和島伊達藩とのゆかりが強い学校だと思っています。

 江戸末期から明治にかけて、進取の気概をもって日本を動かしていたのは間違いなく「伊達宗紀・宗城」さんだと思っています。
 進取の気概を持った子どもを育成したいと思っていますが、空回りしているのが現状です。指導者が、宇和島伊達藩の歴史や時代背景を学習しないといけないなと思っています。今年は、伊達博で校内研修だ~!
 因みに大洲市では、「中江藤樹」を取り上げた研究を行い、子供たちにフィードバックしているそうです。

 私も、「宇和島城のベストショットポジション」を探していました。館長さんが、いわれるように電線&防球ネット等がない場所は、なかなかありません。本校体育館屋根の上からだったら、目線の少し上にお城が見えるのではないかと考えています。今なら、誰の許可を受けずに撮影できますから頑張ろうと思っています。
横浜より
16倍ですか?

管理者にだけ表示を許可する