どんど焼き(左義長) | 鬼城

どんど焼き(左義長)

2012.01.16.Mon.09:30
民俗学の話題、これぞまさしく日本的な風習である。下記はウキペディアより抜粋

左義長(三毬杖・さぎちょう)とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なる(後述)。日本全国で広く見られる習俗である。

1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子の場合もある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。

昔は境内に積み上げた注連縄、お飾りなど高く積んで焼いていたが、火災防止の意味からもコンクリートの穴を掘り、囲いの中で燃やす。新聞によると住宅密集地の神社では、塩で清め、ゴミとして出しているとか。民俗学見地から言うと語り継がれなければならない風習が無くなっていくのが残念!
 
昔の櫓で燃やすイメージとは違う
並んでいる方たちは氏子総代の方々だろう

どんど焼き1

境内
左手、ぜんざいを振る舞ってくださる氏子の方々
この広場には、かってお籠もり堂があった

どんど焼き2

下の階段上の大鳥居

どんど焼き3

15日は日曜日と重なった所為か、出足は鈍い
それでも、参加者のためにぜんざいが振る舞われた
寒い日、暖かいもてなし、ありがたい

どんど焼き4
コメント
宇和島辺りでも「どんどやき」って言うのですか?
小正月に正月飾りを焼くことはよくある習俗ですが、この写真は何処の神社ですか?それにしても、大人、爺さん婆さんの焚き火って感じですね。
焼いた後の灰はどうなるのか、これまた心配ですね。広い枯れ田の中で燃せば、そのまま肥料になり大地に還るでしょうに。
これでは、ゴミを焼くということで、「神の依代(やどり木)を天に戻す」という古代人の気持ちが伝わってきませんが、習俗という形から、なぜこうするかという気持ちが伝えられないものでしょうかね。それにしてもお年寄りの世話人だけが寒々しい姿で、ご苦労様です。
風習
木下博民 様
宇和島地方でも「どんどやき」と言います。この神社は我が氏神、宇和津彦神社です。ごらんのように氏子総代の方達が火の番をされています。燃やした灰は竹藪などに蒔くのではないでしょうか。このように地方でさえ、日本古来の風習が廃れつつあります。ほんと、淋しい風景ですね。
No title
我が家の裏の宇和津彦神社なのだが、
昔のような風習や風景は無くなっているので行きません。
木下博民さんが焚き火のようだと書いていますがそのように見えます。
神社と氏子の距離が広くなってきていますね。
神社・仏閣
日本列島祭り旅にあこがれ、いろんな祭りを探していますが、その形態が変わっていくのが残念です。特に火を使う祭りが様変わりしていますね。ただ安全とか、温暖化防止とか。全く伝統を無視した噴飯ものです。それと「うわつ」さんが言われているように、神社や仏閣の合理性の追求のために変えていることもあります。少子高齢化の波も関係しているかもしれませんね。
「うわつ」さんが撮影している日本の原風景も変わる日が来るのが恐ろしいですね。
少子高齢化で習俗が変わる
少子高齢化で習俗が変わるのでしょうかね。
昔の日本の人口は1億人以下でした。それが現在では遥かに多くなった。日本列島の人口密度はどの程度が理想なのでしょうか?戦後の行政は大きければ大きいほどいいことだ、とでもいうようにひたすら量の多寡を追及してきて、いまもそれを変えていません。
そろそろ量より質の問題を真剣に考えてみたいですね。安全感覚も自分で自分を守る時代から、安全であることは政治家の考えることだとまではいわないまでも、どうも他人頼みの風潮が多くなったようでなりません。
どんど焼きにしても、焚き火のような小さなものではなく、豪快に焼くことに意義があったように思われてなりません。炎とともに天帝が舞い上がって人々に今年の幸運を示唆してくれる、そんな習俗ではなかったのでしょうか?
流れ
少子高齢化の波、言われるとおり「量より質」を求める時代の到来でしょうね。

しかしながら、今朝の新聞に東大が9月入学制度を採用するというニュースが出ていました。これはただ、東大の問題のみでは無く、教育に於いて高校、小中学校も考えねばならない文部科学行政全般に関わる問題だと思います。学者任せの日本の教育は方向を間違っているような気がしてなりません。教育現場の意見を素直に取り入れることこそ教育改革と思います。

これらも良き風習を変えていく(良いことか悪いことか分かりませんが・・・)問題点の一つでしょう。とにかく、風習や教育や政治に至るまで昔の良さを復活させたいですね。
どんど焼きが東大の苦衷にまで発展しましたね。
どんど焼きが飛んだ方向へ発展しました。
4月入学に変えたのは大正9年からで、それまでは9月入学だったのですが、今度の9月入学に戻そうというのは、海外からの留学生のことを慮ってのことらしく、これこそ量を増やそうという学者先生方の発想ではないでしょうか?間違っていたらごめんなさい。
日本の政治を考えるとき、戦後のさまで苦労知らずの学者先生のご意見を一番に考えて事項されるようで、去年の災害対応も、無責任な学者の発言で右往左往した政治家諸先生が滑稽でした。学者先生の猛省を促したいと思います。しかも、これら知識人は決して責任はとりません。それを鵜呑みにした政治家が悪いというでしょうから。
No title
奈良郷での行事に参加していますが、地域文化・伝統の継承とかの意識はないようで、行事の消化という感じになっています。

前に提起した、天神様の名前で、昔の記録を見ると「火室天神」最近は「日室天神」どっちがどうなの?と聞いても、
古老にして明確でない。
根拠の明確な呼称なども、もう廃れてどうでもいいというような??

神の国は死国となっているようです。
学識経験者
木下博民 様
仕事がら、学識経験者のご意見をということがたびたびありました。そのたび、学識経験者なる人たちに信頼感が失われました。人によるとは思うのですが、言ったことに責任を取らないこは自己否定に繋がると思うのですが・・・いろんな方向に飛んでいくコメント。コメント返しが無責任と言われても仕方が無いですね。<(_ _)>
鎮守
百姓モドキ  様
村の鎮守の神様の~♪♪♪ と歌われていた(過去のこと)鎮守の森など知っている人が少なくなっています。我が生家のあった大超寺奥にも鎮守様がありました。正式名称は天満神社と言いますが、通称で「おとっさま」と言っていました。古老の方にこの意味を聞くと誰も知りません。このように失われていくものが多々あるんですね。神の国が「死国」とならないように祈るばかりです。
ちなみに宇和島城総鎮守は日枝神社(丸の内和霊神社にあります。)伊達領の総鎮守は宇和津彦神社(一の宮)ですね。江戸城鎮守は赤坂の日枝神社と聞きました。

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