神の木 | 鬼城

神の木

2011.11.13.Sun.19:00
 花人

生花、素人の私が見て、感動した方がいる
川瀬敏郎先生、その人
この話を親しい茶道家、木村宗慎先生に話したところ、親しくしているとのこと
先日、木村先生が帰省されたとき、川瀬敏郎先生の署名入りの本をいただいた
予想を超える内容で改めて生花のおもしろさを見せつけられた
余談ながら、同じく著者である光田和伸先生は愛媛県松山市のご出身
最初の神木に伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)神社の「椿」を取り上げられている


桂は水の神、樟はは稻の神、松があかす日本語の起源-
天才花人が木のこころを語り、
異能の国文学者がその歴史を語る。
松山の椿、高野山の槇、小岩の松、山形の欅ほか、
全国12カ所の「これだけは見ておきたい神木」案内も。
木のことを知ると人生も楽しい!

出版:新潮社      
著者:川瀬敏郎 / 光田和伸  


神の木1   神の木2
コメント
うちにも神木
奈良郷にも立派な椿の御神木があります。

ちょっと一般的な神とは異なり、貧乏神です。(涙)
神木
いろんな木があるようですが、国文学者の光田先生と華道家の川瀬先生のコラボは結構はまりました。さすがに貧乏神の神木はありませんでしたが、椿は神聖なんですね。ただ武士たちには首が落ちるということで嫌われているとかいいますね。

神木にまつわる話も良いのですが、川瀬先生の何気ない生ける様も良い。表紙は杉ですね。取り上げているのは奈良県桜井市三輪「大神神社」の「巳の神杉」です。
面白そうですね
以前にも鬼城さんが話して居られた華道家の川瀬敏郎さんですね。
御神木にまつわるお話、面白そうですね。
新潮社の、とんぼの本シリーズですか、
今度、本屋で手に取ってみます。

今日は2度目の、ほっほさんとの山歩きでした。
なかなかどうして、ほっほさん山との相性良さそうですよ(笑)
早速アップしました。
No title
 私の知っている方の奥方が、華道をたしなんでおられます。一度お宅へ伺ったとき、言葉でうまく表現できないのですが、その部屋自体の空間そのものに何か突き抜けるような世界を感じてしまったことがありました。おそらく、活けてあった花と部屋とその部屋の様々な調度が共鳴し合っていたからなのかもしれないと、後から感じました。あながち、大酒を飲んで異空間に行っていたからばかりではないと思います。
宇和島の神木
いま中世以前の南予に興味をもっているのですが、宇和島周辺の天神の神社は依代が鏡というよりも自然(木、石、山など)の場合が比較的多いようです。
神木もその一つで、私は伊吹八幡の伊吹の木は、鈴木重家が源義経に命じられて植樹したといわれますが、いまでは立派な神木ですね。ここの八幡様ははじめ馬越の高根、訛って高串の船石に鎮座されたと『伊吹山略伝記』にあり、つづいてこの神木の話も載っています。
神には天神と人神があり、天神はある大きな力を人間にたとえて表現した神(祖先や森羅万象、もちろんその創造神)、人神は実在の人を神として祀った、意外と「怨霊神」が多い。
神木を切って大罰を食らった戸田勝隆の話は、南予の古い神社や寺に沢山あります。九島の鯨大師にはこれを訴えた碑石まであり、三間の三嶋神社、鬼北の等妙寺などもその被害をうけたといいます。
神木を探してもその地方の文化が浮かびあがりますね。どなたか「南予の神木」をまとめられませんか?碑石よりも数少ないので数人がかかれば意外と簡単なのではないでしょうか。和霊神社の大銀杏などももっと若い人に話しておきたいですね。
乱読
ランスケ 様
読む本の分野は幅広く浅い。つまり、一貫性がないんです。
川瀬先生の実家は花屋さんで池坊に納めていたようです。その所為か、池坊で修行し、今ではどこの流派にも属しておられないようです。そのためか、生ける花は「孤高」の感じがします。野に置く花、生ける花それぞれですが、花の意をくみ取る人は少なくなっていますね。

ほっほさん、山行記、楽しく読ませてもらいました。ご本人なら臨場感あふれより楽しいのでは・・・雨男はどう見てもランスケさんですね。(笑い)
文化祭
tentijin 様
この季節、どこへ行っても文化祭です。その中で生花の部が必ずある。その所為かを見るのも好きなんですが、あまりにも飾りすぎるもの、奇をてらったもの、大きすぎる物などは性分に合いません。わびさびの世界(どんな世界化も知りませんが・・・)にあこがれます。ふっとみれば・・・存在感のない生け花でしっかりと主張している・・・訳の分からない表現で申し訳ない。

この本、生け花も良かったですが、光田先生の神木もおもしろかったです。目から鱗の感じがしました。
神々
木下博民 様
先生の宇和島に関する情報量は半端ではありませんね。改めまして敬服いたします。

天神様、八幡様はいずこの地方にもありますね。一時、調べてみようかという気が起こりましたが、私の場合はそれまでです。村の鎮守の天満神社などにも興味があります。ご神体が神木だという神社も全国にはあるようです。山岳信仰みたいに本殿がなく、山そのものがご神体というようなところもあるようですね。

八幡神社の伊吹の木、町名にまでなっています。和霊神社の大銀杏も・・・時間ができれば調べてみたいと思います。
神々の島国
神についてなら、ほっほさんに紹介された関裕二の古代本が面白い。
物部神道と中臣神道の関係や木や岩や・・・多神教の意味、呪いと祟りの神等々。

これをまとめる力はないが、
ここで、木下先生の「天神と人神」に飛んで、つながる。
なるほどなるほど。

知らないだけに、読んでの空想は作者とは違った方向にも向かう。
古代は面白い。
日本の神様は「感謝」の表現
日本の神様は、生きている自分を大宇宙に感謝する表現だと思います。吉川英治の『宮本武蔵』で、一乗寺に決闘に行く前に神にぬかずき勝利を頼もうとして、頼る自分の愚かさににハッと気づく場面がありますが、神は生かされていることへの感謝の対象なのだと思ってきました。
このところ昔のことを思い出さない日はありませんが、あの過酷な戦場をよくもまあ生きてこられたものよと、感謝で一杯です。私には戦死した7人の旧友がいますが、彼らに感謝する気持ちがこのところ日々膨らんでいるのは不思議です。神とはそんな対象です。
この項は「花人」なのに、なぜか神に膨らんでしまいました。花の美しさは野にある自然が一番美しい。それこそこころを和ませてくれます。私の生花を見るのは好きですが、お芝居のようで擬似天国を感じます。それも和むことにはかわりありませんが。

川瀬敏郎さん
このブログで川瀬敏郎さんのお名前を見て、びっくりしました。今から三十年前にこの人の最初の作品集「風姿花伝」を買っていたからです。序文を三宅一生、そして、白洲正子が文を寄せています。川瀬さんは、花を「いける」とは言わず、「たてる」と言います。「いけばな」ではなく「たてはな」です。この言葉がとても印象に残っています。前衛華道には勅使河原蒼風や中川幸夫らの先達がいますが、川瀬さんには古典性が備わっているような気がします。
まさしく古典
松のみばえ 様

コメントありがとうございます。三十数年前ですか?私は5年前に京都の茶道家木村宗慎先生より、彼のことを聞きました。彼は我が道を行くというような生け花ですね。生けるではなく、たてるでしたね。花器と一体になった素材を生かしてたてる、すばらしいことです。前衛的だが、古典の雰囲気という感じはまさしくその通りだと思います。

これからの華道界の孤高として活躍を祈りたいと思います。

管理者にだけ表示を許可する