曹洞宗大本山総持寺 | 鬼城

曹洞宗大本山総持寺

2011.11.05.Sat.12:00

曹洞宗大本山總持寺は、明治44年に石川県能登よりここ鶴見ヶ丘の地に移転、以来、諸堂を整備し、約十万坪の広大な境内にさまざまな堂宇を建立
世界に開く禅苑の精神を生かし、広く一般の方々にも開かれた寺として、また、地域社会の文化の拠点として、多くの方たちとの結びつきを深め歩みを進めている

三門

この山門は鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさ
左右にある金剛力士像は横綱北の湖関の15才の時をモデルに作成したと伝えられている

総持寺1


境内配置図

約10万坪にわたる境内
至る所に堂宇を配置している
善の修行僧のため寮なども完備している

総持寺0

仏殿(本殿)

総持寺2 

大祖堂

総持寺5

渡り廊下はぴかぴかに磨かれている
むかし、掃除をし磨くことは「心を磨く」と言われていたことをおもい出した

総持寺6

雲水群像奉安記 作 矢崎 虎夫

雲の行くまま 水の流るるままの
托鉢 遍路をして 精進する姿を 雲水と呼ぶ

前にいる方が 開山された瑩山師

総持寺3 

石原裕次郎のお墓

総持寺には日活の大スター石原裕次郎の墓がある
霊前には献香、献花が絶えないとか

墓の左脇の石碑には、裕次郎最愛の妻「石原まき子」さんの詩が刻まれている

美しきものに ほゝえみを
淋しきものに 愛しさを
たくましきものに さらに力を
すべての友に 思い出を
愛するものに 永遠を
心の夢 醒めることなく

石原まき子

総持寺4
コメント
No title
石川県の総持寺は行きました。
大きなお寺でしたがそちらが本山でしょうね。
石川のより大きそうですから。(*^-^)
元々は石川県
本山を移したんですね。大阪にも総持寺はあるようです。横浜市鶴見区の総持寺は2年前、石原プロが石原裕次郎の23回忌の法要をするため、総持寺を国立競技場に移して派手にやったことでも有名です。我々世代が子どもの頃のあこがれの大スターでしたね。
コメント訂正お願い
「蜘蛛の行くまま」は「雲の行くまま」の間違い。訂正されては。
石川県の総持寺と鶴見の総持寺は、いずれが本山か、わたしは仏教に疎いので詳しいことはしりませんが、「鶴見は曹洞宗の大本山。石川県鳳至郡門前町に草創されたが、真言宗に属したのを曹洞宗に変えた。明治44年、こちらに本山を移した」、と「広辞苑」にはあります。
明治時代
木下博民 様
仏教伝来から年月を経ていろんな変遷があるんですね。仏教については無知ですが、明治維新以後、廃仏毀釈などいろんな事が起こっています。さて寺を移すにはいろんな要因があると思いますが、謎ですね。真言宗から曹洞宗への宗旨替えなどというのは、訳が分かりません。このようなことを研究されている方もいるんですね。「幅広く、浅く」の野次馬としては分からないことばっかりです。
罰当たりの檀家
 私も曹洞宗ですが、「永平寺が大本山だ」と思っていました。幼少の頃から、父に永平寺の話を聞かされていたので・・・。今回曹洞宗には、2つ大本山があることを知りました。罰当たりな檀家です。
 日々の生活では、宗派やお寺などということを考えたり感じたりすることはなく過ごしています。
 10年前にはじめて永平寺を訪れ、父の菩提をともらうことができました。東京に行く時には、横浜にある総持寺を訪れてみようと思います。
曹洞宗
曹洞宗と言えば永平寺でしょう!総持寺が大本山を名乗っているのは分かれたのではないかと思います。宗教学は分かりませんので推測です。天台宗も比叡山系(三井寺)と西教寺の本山があるようです。私はまだ永平寺には行ったことがありません。是非行ってみたいと思っていますが・・・我が家は浄土宗ですから京都の本山は訪れました。

日本という国は仏教、キリスト教、イスラム教、神道などなど雑多ですね。生まれたときは神様に・・・結婚式は教会に・・・無くなったときはお寺さんに・・・クリスマス、花祭りなどなど行事も雑多(笑い)です。
日本人の宗教感覚
宗教に目くじら立てないのが日本人の特徴。多神教民族ですから一神民族には滑稽でしょう。
禅宗は宗派によって大本山があちこちにあるのですね。私には「ああそうか」程度です。無宗教人間の業ってところでしょう。とにかく、神は変化しあらゆるところにおいでです。ありがたいことです。ありがたい、ありがたい、その『感謝』の気持ちが最大の宗教だとおもいます。
No title
 裕次郎と聞いただけで、不思議な思いに包まれてしまいます。どちらかと言えば、母親の世代やその下の世代には、特別な思いがあるように思います。私も、不思議な旅から帰還してきました。若いと感じたり、年老いたと感じたりするのは、時のなせる技なのでしょうね。擬似タイムスリップして帰ってくると、つくづくそう感じました。また、よろしくおねがいします。
往年
よく使われる言葉ですが、懐かしいとはちょっと違う感覚ですね。映画と聞けば三本立てという感じでしょうか。不思議な感覚です。いまの何でもありの芸能界とは違う感じがします。東京や周辺は刻々と変わっています。良いことなのか悪いことなのか、次世代の人が判断するでしょう。

旅行、お疲れ様でした。今日は昼から早引けで帰宅しています。また、ブログ期待しています。
No title
個人的な好みとしては、精神世界を具現化する建物としてはやはり木造しかない。
と思うのは、百姓モドキだけでしょうか?
大山積神社の山門は、木造で気持ちいいですね。
山門は木でもコンクリートでもないのもありますよ。
海野貴公子さま
木でもコンクリートでも石でもない鉄の山門が大阪天王寺の一心寺にあります。この寺は宗派に拘らない骨仏の寺でなかなか経営は上手い。
若い人を見かけます。
山門は仁王ではなく半裸の天女ですからまた凄い。はじめは異様に思いましたが、今ではしっくりしています。
そうそう、山門といえば法隆寺の山門、柱が一本多く、これには意味があるようですね。梅原猛さんの論文で読んだことがあります。
鶴見は戦災で完全に寺が燃えたはずです。本堂も。

木下先生へ
ありがとうございます。
百姓モドキのつぶやきにお答えいただいて。

時代の変化に対応できない百姓モドキ(笑)
RC製の城や寺院や神社には、中身は同じ物でしょうが、
何故か心が付いていけません。

と、えらそうに申しましても信心はなく、雰囲気に惹かれるだけですが。

この場をお借りして先生に質問させていただきます。
鬼城さんに紹介された本で
貴著書「青年・松浦武四郎の四国遍路」P27
穴御前は、法華津にあるとありますが、どこかご存じですか?
法華津にいる友人は知らないと言っていました。




穴御前
私は老人ゆえどうしても探検できませんでした。これを書くとき、三間の池本覚先生に調べてもらいました。先生に尋ねられると判るかも・・・、いえもう資料の上でしかわからないようですが、どなたか調査いただければありがたいと思います。
実は、これに疑問を持たれた方は貴方がはじめてです。宇和島の方々には興味あることだったとおもうのですが。
ありがとうございました
突然の質問、大変失礼しました。

機会がありましたらお尋ねしてみますし、他の法華津の人にも聞いてみたいと思います。
ありがとうございました。
読む
百姓モドキ 様
訪問ありがとうございます。穴御前については疑問に思っていましたが、忘れていました。読むというか、考える力不足でしょう。それとも流し読みの所為かもしれません。木下先生<(_ _)>

青年松浦武史郎については等妙寺を訪れたことに興味がありました。現在は関ご住職なんですが、機会があれば尋ねてみようと思います。しかし、山から現在地に移されていますから記録などは無いでしょうね。

歴史はおもしろいけれど、検証に時間が掛かる。改めて木下先生や百姓モドキさんに脱帽・・・

等妙寺については鬼北の教育委員会に詳しい資料があります。
鬼城編集先生
等妙寺の研究は鬼北教育委員会にお尋ねになれば、山から現在地に遷ったこともある程度わかるでしょう。
私は、松浦武四郎を書くときに、等妙寺とそのまた山奥の発掘現場などを訪ねました。あの寺が南朝の重要な情報基地であったことや、南郡の南朝勢力分野への交通手段には海よりも山道を行けば案外容易だったのではないかとおもいました。
どうか、是非等妙寺に興味をお持ちになってください。

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