秋祭り | 鬼城

秋祭り

2011.10.26.Wed.14:00
宇和津彦神社秋祭り

宇和島地方では各神社ごとに秋祭りがある
大きく分けると三島神社14日、八幡神社16日、宇和津彦神社29日である
過去一度だけ統一祭にしたらという意見によって16日に開催をしたことがある
しかし、一年で中止される
理由は賑やかさが分散するというもの、口さがない人に言わせると「お賽銭」が少なくなる理由だったとか

残念ながら、氏子である宇和津彦神社秋祭りの宵宮から旅行に出るため、今年は不参加
お宮は祭り準備で、幟も立ち宵宮、祭りを迎えるのみとなっている


秋祭り1

愛宕公園午後6時の宇和島全景

「秋の夕焼け鎌を研げ」の格言のように次の日は快晴であった

秋祭り4

山帰来の実

赤く色づく頃、里は秋、宇和津彦神社の秋祭りが来る

秋祭り3

出陣を待つ御輿

3体の御輿、一時はかき手がいなくてトラックで運んだこともあったようだが、最近では御輿のかき手は揃っている

秋祭り2 



コメント
祭りは観光行事ではない
神社の祭りを統一して同じ日にしようなんてことがあったのですか?およそ滑稽な話です。なぜ氏神なのか考えれば、そんな発想は起きないはず。
昔、宇和島では、祭りの日には家々では客を招いて楽しんだものですが、いまはどうなっているのでしょう。
先日書いた『文豪獅子文六先生の南国宇和島滑稽譚』に終戦直後の岩松の秋祭りの様子を文六先生が丁寧に書いてくれていることを載せました(是非よ、読み返してみてください)が、私の小学校のころ(昭和初期)は、祭りの日は小学校も半ドンでした。特に宇和津彦神社の祭りは、教育勅語発布日(明治23年10月30日)と近かったので、教育勅語の日を宇和津彦神社の祭り日に繰り上げ、小学校は午前中その式典をやって、午後は神社参拝、お練見物と楽しかったものです。もちろん、商店も銀行もお休みでした。
ここまでしなくても祭りはウキウキしますね。
氏神
昔の感覚は無くなってきていますね。氏神様についてさえ知らない人が増えてきています。ましてや、私たちが若い頃、お客さんを招いて盛り合わせで接待したことも最近ではほとんどありません。お練りも回っていきますが、仕事のところが多く、ご祝儀集めなどなかなかのようです。

獅子文六先生が津島に居た頃の良き時代は過去のものになりつつあります。何か寂しい気がします。
No title
 田畑の実りからいうと、10月から11月が祭りのシーズンなのでしょうね。旧暦10月は、神無月、稲刈りが終わり、一段落するする月が、旧暦の10月(新暦11月)、秋祭りに出払って、出雲の神々は、お留守であったようです。子供ならずも浮き浮きするのは、若さの証でしょうか。

 秋の夕焼け・・・のフレーズは、訳も分からない7~8歳の記憶に初登場、父だったような気もするし、母と検証した気もするが、昭和のあのような時代があったという記憶が蘇りました。計算をしてみると、30年代前半ということになります。

 さんきらも懐かしい響きに聞こえるのは、私だけでしょうか。旧暦3月3日のお節句?御馳走を持って花見に出かける晴れの日、年に何回もない、子供にとって幸せな1日、田舎では、田植えの終わる田休みの頃、子供はさんきらの葉を採りに山に出かける。その餅しばに包まれた米粉を皮にした蒸かした甘~い餅がちらついて、山歩きも苦にならなかった日々が、今に繋がっているとは、信じられないくらいです。良き時間を思い出させていただきました。
山帰来
tentijin 様
散歩の途中、嫁さんは立ち止まり、餅芝の葉を・・・次の週には、蒸かしまんじゅうができあがっています。酒飲みの方はどうか分かりませんが、まんじゅうは大好きです。しかし、健康に気を遣う年になっていますから(^^;)

最近では、祭りはイベント化して、打ち上げ花火の要素が強くなっているような気がします。昔の人が築き上げた伝統の上での引き継ぎがなされるよう祈るばかりです。お練りもそうだし、呼んだり、呼ばれたりする宴会、続けていきたいですね。

今年は氏子である宇和津彦神社にお参りせず、横浜の鶴見神社でお参りします。明日朝、出発です。

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