九島架橋 | 鬼城

九島架橋

2011.09.30.Fri.19:00
九島が浮かんでいると言った表現がふさわしいように宇和島湾の真ん中に存在している
交通は船しかない
島の住民のためフェリーが運航されている
昔は自分の家の船か、知り合いに頼んで乗せてもらうしか方法は無かった
架橋の話はたびたびあったが 、未だに実現されていない
先の市長選でこの架橋問題はマニフェストとして取り上げられた
結論は架橋賛成派の圧倒的多数であった
救急の病人、学校への登下校、町への買い物など橋ならいつでもできる

写真の雲をかぶっているのが九島で手前が戎山、そして宇和島道路
アクセス道路が決定すれば実現へのGOサイン
山頂を通るか、中腹のはちまき道路か、帰省の道路の改修かが課題

写真は市庁舎7階より

九島架橋1
コメント
世代の違いか
世代の違いか?時代の変化か?

S59年頃聞いたところでは、橋の要望は出てきているが物騒になるので反対が多い?
今は、鍵をしなくてもいいが、橋が出来ると鍵をしていなければならないので反対が多い
ということを聞いていました。

地域の心も住む人も、時代と共に変化するのですね。当たり前のことだが。


反対理由
百姓モドキ 様
理由にこんなことが、公然とまかり通っていると聞いて改めて不思議に思います。鍵をかけるのが普通ですね。しかし、今までと違って不便。どちらが不便でしょうか?
わざわざ、橋を通り島まで行く人が居るかどうかもわかりません。鯨大師など在りますから観光客が???
久しく行っていませんが、九島山くらいは登るかもしれませんね。外部の人間としてかける方がずーっと良いと思います。
九島架橋にたいする意見
市役所に津島よりも三間よりも近い離島、それが九島ですが、架橋の意見をいえば誰もが賛成するでしょう。
しかし、架橋すれば、住環境が一変し、有史以来の人情も、居住感覚も、崩壊するでしょう。おそらく、家々は施錠を余儀なくされて、夜中でも浜でたむろするアンチャンが増えるでしょう。
いま、九島では町に仕事に来ている人がおおいようです。職住環境がはっきり一変していてこんなありがたいことはありません。これがごちゃごちゃになるでしょう。東京に住んでいると夜中もおちおち眠れないことがあります。いつ襲われるかと思っています。そんなことを皆さんは全く考えてはいないでしょう。
とにかく部外者と一笑されますから、これ以上は言いませんが、『離島ならではできない生活の楽しみ』を再考されてはいかがですか?中国に「隠者の生活」というのがあります。人生最高の生きざまですが、いまでも人人はそれに憧れます。なぜか?
さらに、追憶
そうそう、もっと大事なことがあった。木下氏が言われるように釣り客が大量に押し寄せてくるから、
波頭は汚れるし、ゴミは置いたままにするし・・・と言うことがあっての発言。

これを、今は亡きYasuki先生に聞きました。九島におられたから住民の生の声だったと思います。
ちなみに、小生はそのころは波頭でのアジ釣りに夢中だったので、「九島に橋ができたら最高ですのに」と
言った言葉を受けての、お言葉でした。

そのお言葉を今でも重く受け止めています。
が、それは住んでいる住民が考えることで・・・

住民が判断することですが、原発立地と同じ構図にならなければいいがなと思います。
賛否両論
木下博民・海野貴公子 様
住民の考えも二つに割れるところです。しかし、今回の市長選では架橋賛成派が多数だったようです。しかし環境の変化は否めません。お二人が言われているようなことも起こりうるかもしれません。

個人的な考えですが、わざわざ九島に行くかな?という感じもしますが・・・最初は物珍しさで行くかもしれませんが心配するようなことは起こらないかもしれません。未確認ですが、8月末に設計仕様の入札が行われたと聞いています。
九島架橋の反応
先日の投書で、反応がありましたね。大いに結構です。
宇和島の人は、大人しすぎて、上に素直です。お互いに信念を持った正論を冷静に話し合うことは発展に繋がり、良いことだと思います。
架橋されるならば、環境豹変を予測して十分先手を打っておきたいものです。九島にいまの10倍の車が走ったらどうすればいいか?ゴミ焼却場の建設がセットの架橋というのならば、もし宇和島中のゴミが入ってきたとき、どういうことが起きるのか?架橋位置が鯨大師に近いようですが、あの聖域がどう変わるのか、考えてみたいですね。
おそらく周辺の海にも変化がおきるでしょう。
市長一人に考えさせるのではなく、全市民が真剣に考えて欲しいですね。
つまらんことかもしれませんが、やる以上、どうにかなる、ではなくして、派生的に変わってゆく姿を予測して、後手(不平の種)にならぬよう祈ります。
No title
 みなさんの御意見を聞いていると、どちらもごもっともに思えてきます。佐田の岬に灯台がありますが、写真の題材になり得る明媚な場所です。この灯台に向けて車が進める道を作らなかったというのが、住民の思いを具現化した結果でした。そのため、車が入れる場所から徒歩で灯台まで1キロ以上進まなければその明媚な眺めに遭遇することはできません。もう今は、灯台守とて存在しない灯台に車が入れないのと、物騒と引き替えに生活道路としての利便性を思い描く住人の心の内とは、明らかに何かが違います。たぶん、あまり橋を必要と感じない高齢グループと現役ばりばりの勤めに出ている方と学生という比較的若いグループがいるはずです。良いか悪いかは別にして、案外このバランス(質やら量やら)が歯車を一つ回転させるものなのかもしれません。
賛否両論が単なる茶飲み話にならないように。
私はあまり匿名でモノをいうのを好みません。ですからはっきりいいたいのです。
私は九島が好きです。九島の歴史や人情について勉強したことがあります。鯨大師からの眺めはすばらしい。もし、宇和島の心に残る景観を選べといわれたら、真っ先にここを挙げます。ただ、ここは集団で行くところではありません。独りで静かに佇んで時間を忘れるところです。
宇和島の若い皆さんも、騙されたと思って一度訪ねてごらんになってはいかがですか?ここからじっと行き交う船をみていると、こんなに清閑な場所が間近にあることに驚かれるでしょう。


No title
九島の橋では賛否さまざまですね。島の生活環境は変化するでしょうね。
違う視点から一言。
子供の頃には泳いでいた戎山や、赤松海水浴場が泳げない海になっています。
架橋建設の方向で動いているようですので止めることは出来んでしょう。
せめて、橋が出来たら宇和島の海の汚さが分かり、きれいな海にしようという声が出ることを期待しています。
東京から帰省していた友人が、東京より汚いといっていたのを思い出します。
便利の裏側には弊害もあることがよく分かります。賛否両論ですが、陸続きになることのあこがれもあったことは事実です。

「うわつ」さんが言われるように海はきれいにしてほしいですね。宇和島湾で魚釣りをして食卓を飾れるようにきれいな海へ・・・海水浴もしたいですね。竜宮の赤松遊園地・・・沖に浮かぶ高島・・・青い海を走る盛運汽船とくれば、映画「南海の狼火」です。

ほんとに汚い街になりました。ポイ捨て、犬の糞の始末さえできない・・・愚痴を言っても仕方が無い、できることからやっていきましょう。
ゴミ、ポイ捨ての話。
九島架橋から海の浄化へと話が移っていったようですが、私にこんな経験があります。いつか、須賀川の土手を散歩していたら、丁度前の家のおばさんが、ちりとりに入れた自宅のゴミを川に捨てていました。思わず立ち止まった私に、「いま引き潮ですけん」といいました。ちょっと良心はおありだったのでしょう。
実はいまでも忘れられない瞬間です。海は何でも綺麗にしてくれると思っておられるのかもしれませんが、宇和島の方は海はなんでも浄化してくれるものだと思っておられるのかもしれません。
海は無限に幸を与えてくれると思っておられるわけではないでしょうが、真珠や鯛の養殖が増え続ければ海はパンクして赤潮は起き、汚れてしまいます。
真剣に宇和海の浄化を考えなければならないのですが、架橋とあわせて海とは何か、これこそ若い人たちと話し合うチャンスだとおもいますね。宇和海がなければ宇和島は成り立たないのだというほどの気構えで。
海の浄化
木下博民 様
その通りですね。大雨が降ったとき、あふれんばかりの川に粗大ゴミを投げ入れる姿が・・・注意しても知らん顔どころか、証拠と来ました。こんな人も居るんでえすよ。日本全国、考えねばならない課題だと思います。がれきの山をどうするのか。放射能汚染の土の問題。環境問題は大事です。

先生がおっしゃられているように、身近な事から解決せねばなりません。
宇和島人の利己主事は抜群
こどものころ朝日町三丁目に住んでいて、大雨台風で朝日町がすっかり水浸しになって床下浸水したことがありました。その朝、雨上がりの引き潮時に、前の宗教教会の人が肥柄杓で、便所の汚わいをドンドン道路にくみ出していたのを見て、子ども心にゾッとしたことがあり、いまだに忘れえません。80数年年も前の話ですが、それ以来、その宗教教会の前を通るたびに、思い出されてなりません。
黙って町を掃除する人が沢山いれば、町はますます賑やかになります。今の状態では、とことん駄目になるかもしれません。

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