板島橋 | 鬼城

板島橋

2018.06.30.Sat.07:00
予科練橋

今の若い世代の方たちはこの名前は知らないだろう。
宇和島坂下津に松山海軍航空隊宇和島分遣隊が昭和19年設置された。
その前も歴史はあるが省略・・・
板島橋が正式名称である。
先日享年96歳で亡くなられた木下博民先生の著書「板島橋」で詳しく述べられている。
現在は「新板島橋」が掛かり、その上には宇和島・津島道路(自動車道)の橋が架かっている。

木下先生は亡くなられる前まで自分の人生の総まとめとして執筆されていた。
遺作は「大任会挽歌 昭和を生きた男たち」。
西南四国歴史文化論叢「よど」第19号に掲載されている。
改めて板島橋のエピソードを記録に残し、深く宇和島を愛した先生を讃えたい。

合掌

板島橋1
板島橋2

板島橋3

板島橋4

板島橋5

板島橋 

よど
コメント
No title
 懐かしい言葉ですね。新規採用教員として宇和島にやってきて3年間この橋を通って石応小まで通勤しました。」
 その時、先輩の先生方が「予科練橋」と言われていて「どこにある橋なんですか?」と質問したことがありました。その時初めて「予科練橋=板島橋」ということを知りました。
 写真にはないのですが、「松山海軍航空隊宇和島分遣隊」の石碑が、家具屋さんの玄関横にありました。今はどうなっているのでしょうかね~。
No title
歯医者さんに行くときに自動車専用道路に上がろうと、2度車線を間違い、私に取っては苦手意識の強い橋ですが、歴史が刻まれた橋なのですね。
 木下先生のコメントを読めなくなって、先生が逝かれたのだな~と・・・。でもこのブログ、ずっと天国から見ておられることでしょう。
懐かしい道路
syoryuで~す。 様
この橋を通って坂下津方面へ・・・坂下津には海水浴場がありました。天満神社前の入江です。釣りや泳ぎに通いました。今は汚れていますがきれいな海でした。石応からスタート尾ですか?不安と希望の日々だったでしょう。今では・・・(笑い)
毎回
吉野の食いしんぼう 様
コメントの数は、何百回となるでしょう。辛口、ご指導、教え、世間話等々、幅広く書き込まれていました。少しでも先生の好きな宇和島城号をとの思いでブログ記事を書き込みました。予科練、昭和19年、生まれる前の話ですね。さて現代、あそこの自動車道は少々ややこしい。間違ってぶつける人も数多く居ます。何とか標識だけでも分かりやすくして欲しいですね。
No title
子供の頃の予科練橋は木造でした。この上からザルに魚のアラなんかを入れて海に沈めてしばらくして引き上げたらトガタニが獲れました。干潮時にはアサリ貝を市民は掘っていました。今は水質が悪くなって潮干狩り風景も見えなくなくなりました。
蟹漁
うわつ 様
潟がにと書くんでしょうね。干潟でちょろちょろしているかに(笑い)アサリは経験があります。今で言うところの潮干狩り・・・何も無くても良い時代でした。今と比べれば、相当に不便でした。しかし、良い時代、良い故郷だったと木下先生がいつも言われていました。
No title
 私も25年生まれなので、橋ができた頃には、影も形もなかったと思います。板島橋、そのような歴史も知らずに、いつも渡っています。また、この辺り、干潟としては、宇和島有数の場所に見えます。
合流
tentijin 様
来村川と神田川との合流場所で広い干潟を構成しています。今はどぶのたまりとなっていますが、昔はきれいで潮干狩り、釣り場、白魚漁などの場所でした。橋の上から「いとより」を釣ったことがありました。ハゼ釣りの型は多かったですね。数年前まで白魚漁もやっていたようですが、今はもうありません。よき時代の思い出は消えていくんですね。

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