堀部公園界隈 | 鬼城

堀部公園界隈

2018.06.26.Tue.08:00
来村

宇和島市の南側は昔、来村という地名だった。
そこを治めていた城主が薬師神家で城は亀淵城(別名古城山)である。
城東中学校の裏の山である。


堀部公園講演1

尾串の森

谷を挟んで西側には尾串の森がある。
現在の三島神社である。
改装中の建物は宇和島市民プールである。

堀部公園講演2

保手川

左は尾串の森、右奥が堀部公園である。
昔、堀部公園は三島様が祀られていた。
城主の薬師神家が尾串の森に遷宮し、守護神とした。
現在、堀部公園の周りを宮ノ下という。
つまり昔の三島神社下という意味からの地名だ。

堀部公園講演3

堀部公園

堀部彦三郎の持山だったが、寄付されその名を付けた。
春には桜の名所だった。
有名な「温故知新の碑」がある。
すぐしたの来村川(この辺りから)には暗淵という深場がある。

堀部公園講演4

三嶋神社

現在、祭られている尾串の森の三島様である。
夏祭りには参道に屋台が今でも並ぶ。
花火も見応えがある。


堀部公園講演5

長堀

これも地名である。
亀淵城の堀の跡で長さは1kmほどあるだろうか?
今は水の流れのみで昔の様相は無い。

堀部公園講演6
コメント
No title
 来村、良く聞く地名なのですが、このように案内していただくと良く分かります。いろいろ歴史的に変遷を経てきている様子も分かりますね。
なるほど
 1月2日の宇和島七福神巡りで、ここを通ります。お弁当を広げるのが堀部公園です。
 寒風の中、お喋りしながら歩いていましたが、この記事で由緒や歴史が解り、来年からの歩きが楽しみです。只ネックは記憶力の減退。
堀部公園
昔遠足で行きました。子供の頃には保手川でシラウオを手ぬぐいで掬い取ったり泳いだり遊び場でした。昔は桜が咲いて良い公園でした。以来行っていないので今はどのようになっているかわからなかったけど随分変わっているようですね。
来村
tentijin 様
この場所の歴史も面白い。特に戦国時代は土佐に近かったので、一番先に攻められた。そのときのエピソードが一杯在ります。確実な物、いわれなどなど。残念ながら鎌倉、平安、奈良時代は堂だったのかの研究が無いのです。
景色
吉野の食いしんぼう 様
記憶は連想ゲームだと誰かが言っていました。景色を見て連想してください。(笑い)七福神の最後は来應寺ですね。この講演を聴いていなかったら宮ノ下の意味は分かりませんでした。歴史は面白い!
整備
うわつ 様
氏の管轄か?桜は若木が植えられています。いずれ桜の名所になるでしょう。公園内の整備も出来ていますよ。散歩される方も多いようです。残念ながら川は荒れていますね。白魚漁も過去のこと。残念です・・・宇和島は海、川をきれいにせねばいけません。
No title
 近くに住んでいながらこの辺りの歴史はまったく知りませんでした。
 ウォークの途中、堀部公園にも上がって軽く運動をしていたのですが、「ここは石碑が多いな」というくらいで内容について気にしたことはありませんでした。
 また、「長堀」という地名もお堀とは関係がないと思っていましたが、古城山のお堀だったのですね。今では、お堀の面影もありませんがね~。
初耳
syoryuで~す。 様
近藤先生の講演で初めて知ったことが多かったです。長堀も全然知りませんでした。土地の人は知っているかもしれませんが、語り継がないと・・・
No title
子どもの頃、お弁当使いに来たことあります♪
こんなに公園小さかったっけ?と今大きくなった自分だから、そう感じるのかな(笑)
そうですよ・・・
きみちゃん 様
大河と思っていた川が溝というのは極端ですが・・・目線が違うんですね。しかし、この川、暴れ川だったようで、幾人もの死者が出ているようです。今ではながれる水量も激減しています。上流には薬師谷計国もありますね。
表紙が
変わりましたね。
「ふうらん」ですよね。
雫を花いっぱいためて素敵ですね。
蓼邨
鬼城様

堀部彦次郎の号「蓼邨 たでむら」は来村川畔に群生していた「蓼」に由来すると、いわれております(「燼余」収載)。無用一件、あしからず。

 橋本増洋
風蘭
結女 様
香りで分かります。梅雨明け間近の花ですね。残念ながらこのタイトル、昨年の写真です。今年は花付きが悪い!(泣 近くアップします。
号は?
橋本増洋 様
堀部彦次郎は宇和島の御三家と言われる商人と言うこと、公園を寄付したことしか知りません。ちなみに槇本は現存、石﨑はありませんね。同級生の家です。蓼とは「蓼食う虫も好き好き」の蓼ですね。
No title
鬼城様

 来村の堀部家は宇和島御三家の堀部家とは別の家であり、来村庄屋出身であります。御三家の堀部家との関係については未詳ですが、調べてみます。彦次郎はシャレッ気の多い人で自身が「オクメ」であったことから「窪目」と号して花柳界で、いろいろと罪ならぬ「おふざけ」をして客人を楽しませたと伝えられています。余命(?)あれば「堀部彦次郎伝」をまとめたいと思います。
無用一件、あしからず。
 橋本増洋
槇本も・・・
橋本増洋 様
御三家で槇本も別れ屋が多いようです。堀部はよく分かりません。宮ノ下の庄屋という話を講演で聴きました。明治大正昭和と財閥も変わったんですね。石﨑だけは今どうしているのか?長男が同級生でした。

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