窪野の八つ鹿踊り | 鬼城

窪野の八つ鹿踊り

2017.04.19.Wed.15:00
八つ鹿

 この芸能は、仙台藩の伊達秀宗が四国宇和島に入部したおり、仙台地方の鹿踊を移したもの。
今も数箇所に伝承されており、他に七つ鹿、五つ鹿もある。
 この窪野の八つ鹿は、毎年四月十七日の三滝神社の春季例祭に境内で踊られる。
 笛と鹿踊歌につれて八匹の鹿が胸に吊るした太鼓を打ち振り美しく踊る。
(先鹿一、後鹿一、牝鹿一、小鹿五)
「道行」「長唄」「音頭舞」「小唄むすび」の次第からなっている。
 仙台地方の鹿踊に比べ、町風に長唄の類を加味するなど歌舞性を強くしている。
同じものが風土によって変化する様子がうかがえる点に興味深いものがある。

国指定文化財等データベースより

春祭り1
前後に飾り鹿

この八つ鹿踊り、高齢・過疎化から2005年休止した。
2009年に再開、今に至っている。

色とりどりの短冊で飾られている。
八つ鹿は宇和津彦神社と窪野地区だけのようである。

春祭り2

笛の音曲

南予地方で笛の音が聞こえるのはここだけか?
勿論、太鼓は衣装の中・・・

春祭り3

結構長い踊りで休憩中

雨の後だったので筵を敷き、その上で踊った。

春祭り4

見物人

結構多くの人が集まっている。
カメラマンだけでも50人近く居た。
テレビ局も来ている。
駐車場は満車状態で、事故防止のためパトカーも・・・

春祭り5

牝鹿隠し

南予地方の鹿踊りは、一匹だけ牝鹿がいる。
踊りは、その牝鹿を探し求める所作が・・・
最後に見つけ、一緒に山に帰るというもの。
この後も続いていたが、渋滞を考え撤収した。

春祭り6
コメント
No title
 過疎化が進む中で、この様に復活されたことは喜ばしいことですね。
 飾り鹿のカラフルさ、牝鹿の角飾りがおしゃれなことに目がいきました。
 普段ひとけの少ない場所が活気づいた1日ですね。勿論、お餅撒きもあったのでは?
No title
 鬼北での鹿踊りは、弓滝様のお祭りにでも行かなければ見ることが出来なくなっています。ところが、近くの山に登れば、鹿の糞は、あまたこぼれ落ちています。人口が年々減少し、現代は、鹿踊りが生まれた頃の自然に、ひょっとしたら近づいているのかも知れませんね。
No title
tentijin 様
そうでしょうね。少子高齢化の時代では無かったと思いますが、山の中、楽しみは鎮守のお祭り・・・そこにお練りが誕生し、神々を慰める。さてこれからどうなっていくのか?
餅まき
吉野の食いしんぼう 様
餅拾いのくる車とすれ違いました。命がけで・・・(笑い)それだけ道が狭いのです。そこに数百人が詰めかけていました。車はあふれていました。餅まきまでいたら、車を出すのに1時間ほど掛かったと思います。念願叶った一日でした。
No title
 珍しい出で立ちですね。いくつか五鹿や八鹿を見ましたが、これだけ派手な(?)な鹿踊りは初めてです。
 結構な数のカメラマンが来ているということは、結構有名な鹿踊りなのですね。しかし、行く道を考えれば撮影に行くのは難しいかな~。
乗り合わせが・・・
笑隆で~す。 様
牛鬼のお練りや祝詞、そして八つ鹿など演目があるようです。神輿は飾ってありました。山の中ですが結構、立派な神社でした。昔の人々が、いかに神を大事にしていたかが分かります。来年はご一緒しましょう。今年は大雨の後でしたから、道が滑り大変でした。氏子の方々は、晴れて良かったと・・・消防団も数多く出ていました。
八ツ鹿
五ッ鹿や七ッ鹿は良く見ますが

民俗学を研究しているの大本氏は
八ツ鹿は西予市城川町窪野のように江戸時代文政年間に八ツ鹿にしたという特別な事例とそこからの伝播した地区以外には八ツ鹿が皆無であることは気になる点である。江戸時代に宇和島が八ツ鹿であれば、周辺部にもっと八ツ鹿が残っていても不思議ではない。と書いています。
八ツ鹿は窪野と宇和島だけのようですね。
おそらく・・・
うわつ 様
大本氏は民俗学の県一の研究者です。裏付けが無いと発表されません。私は部外者的な立場ですから、なんでも言えます。宇和津彦神社祭礼絵巻(大正時代)は五つ鹿でした。江戸末期も五つ鹿だったと思います。これも祭礼絵巻が残っています。と言うことは賑やかにと言うことで増えていったのではと思います。さて謎は謎で楽しいかも・・・
お願い
宇和津彦神社の少年八つ鹿よりじさまの八つ鹿は存続するとおもいましたが、これがよたよただとは寂しい限りですね。踊りの筋はわかってるのですが、歌を整理されて息切れしないよう、これからもつづけてください。詠って、踊って、太鼓を叩く一人三役同時進行は大変です。
ここの歌の文句を教えてください。
唄の文句
木下博民 様
宇和津彦神社と同じのようです。
鹿唄は「廻れ廻れ水車 遅く廻りてせきとまあれな せきとまあれな」という歌詞に始まり、「国からもお急ぎ戻れと文がきた おいとま申して いざ帰ろうや いざ帰ろうや」という歌詞で終わります。
どのように伝搬していったのか、ここらが不思議です。山奥での祭り、趣があり素晴らしいものでした。牛鬼や神輿の練りもあったようです。

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