昔の石垣か? | 鬼城

昔の石垣か?

2017.02.25.Sat.18:00
河川工事

友人から、ひょとしたら昔の石垣が出たのではというニュースを聞き、出かけた。
ところは保手川、三島神社の上流とか。
そういやあ、散歩の時、川が濁っていたなあと思い当たる。
三島神社へ車を置き、現場へ・・・

河川工事1
河津桜?

車から降り、見上げると桜が・・・
銅像は誰?
梶原計国と表示があった。

河川工事2

八部咲き

可憐な色である。神社境内には桜は欠かせない。

河川工事0

堀部公園

堀部さんが宇和島市に寄贈した土地を公園としている。
桜便りは、来月になる。
目の前は「くら淵」

河川工事3

現場

堀部公園の対岸で工事がされていた。
石垣の突き替え工事のようだ。
愛媛県の受注工事。
一級河川は国だから・・・

河川工事4

二重の石垣

何度見ても痕跡はない。
ここ、三島神社付近は、宇和島藩伊達家の軍事訓練場だった。
また、薬草園もこの辺りにあった。
石垣が二重であれば、昔のものかもしれないと来てみたが、違っていた。
残念!
しかし、久しぶりに堀部公園の周りを散策した。
気になるのは、保手川の水量が激減していること。

河川工事5
コメント
No title
 石垣情報は残念でしたね。山の会活動のスタートは宇和島の七福神巡りで、昼食場所が「堀部公園」とお決まりです。皆で桜の時季に又来たいねと言いつつ実現していません。公園の名前の由来もああ~っそうだったのですね。
No title
 場所は、城東中に入る横道より津島寄りの自転車屋さんの信号から右へ川の方へ続く道が、川に着いた辺りですか?そんな気がします。伊達家の歴史や宇和島の歴史と比べながら歩くとわくわくがありますね。
宇和島の名所
吉野の食いしんぼう 様
堀部公園には「温故知新の碑」もあります。木下先生がお詳しいです。桜の季節には、この場所は最適ですね。七福神巡り、是非、実行してください。足が完治するかも・・・遺跡や言い伝えなど、何処の地域でも残っています。なくさないようにするのは、地域の人たちですね。
歩く
tentijin 様
歩くとわくわく感がします。しかし、何も残っていない!ただ、想像しながら歩いて行くことですね。いつも等妙寺ウォークに行くと感じることがあります。目的地には遺跡が残っている。これが素晴らしい。川も変わりました。汚れ、水量のへんかなどなど・・・昔に戻せない者か?
残念でした
掘れば出てくるもんなんですがね。
掘ってる位置が間違ったのかも?
それにしてもここにも咲いているのか!
実も生らないのに、桜の人気は凄いですね!
私も人気所以の中の一人なんですが、
桜色した桜を一寸だけでも頂戴したいものです。無理なだけに好きなのかもです。
購入出来るものなら、一枝1000円くらいで購入したいです。
やはり(笑い)
結女 様
花とくれば、鑑賞よりどうすれば、良い形で残せるのか考える。おもしろいですね・・・写真で残す人、目に焼き付けて残す人、世の中いろんな人が居ます。さて、掘ったら出てくるのは奈良(爆)宇和島は当時、このあたり人家など無かったと思います。浩二場所によって偶然出てくるんですね。桜、神社やお寺に欠かせない花です。公園も・・・
梶原計国像
宇和島人がおよそ知らない銅像といえば梶原計国氏像かも知れません。拙著「南豫明倫館」の索引を見ていただければ分かります。この人は銅像やといわれたくらいいろいろな銅像(宗城・惟謙・春太郎・岩太郎など)はこの人の口利きでできました。そしてご自分の銅像まで造られたのでしょう。宇和島商業乙種時代のかたで、戦時中子供が学校でのまされた回虫下剤マクニンの一手販売をしておられました。
梶原さん保手の辺りの人です。だから、ここに銅像を建てられたのでしょう。
南予明倫館
木下博民 様
荷物をまとめて居るとき、南予明倫館がありました。これから一月、読み返します。それと頼まれ仕事、宗城と長英に関して執筆依頼がありました。人との繋がりをメインに書いていきます。宇和島にもいろんな商売をしていた人が居たんですね。この辺り、自然がなくなりつつあります。

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