温故知新の碑 | 鬼城

温故知新の碑

2011.03.31.Thu.21:00
暖かさに誘われ、久しぶりに保手川をさかのぼった。三島神社の向かい側に堀部公園がある。昔の城址が在ったところで堀部彦次郎の所有であったが宇和島市に寄贈した。それを公園として、寄贈者の名前をつけている。そこに「温故知新」の碑が建立されている。以下「宇和島の自然と文化」より
 
堀部公園

堀部公園1
宇和島市の南部は、史跡に富んだ所で、来村川のほとりには、三島神社、馬場御野始めの跡、御薬園、来応寺などがある。堀部公園の丘の上には、温故知新の大きな碑がある。この碑文には、次のように記してある。

明治十年穂積陳重齢二十二歳學ンデ英国二在り大法學
者メインノ名著古代法論ヲ讀破シテ感激措カズ其書ノ
扉二温故知新ノ四字ヲ書ス家ニ蔵シテ先人好學ノ記念
タリ堀部彦次郎君其文字ヲ擴大シテ石二刻マシム蓋シ
温故知新ハ故人研學ノ一貫精神タルト同時二郷黨ノ諸
君ニ對スル不變の態度ナリキ今ヤ舊友故地二碑ヲ建テ
テ新人永ク之ヲ観ル陳重ニシテ此碑ニ對センカ必ズヤ
破顔微笑セン
昭和五年二月十一日穂積重遠誌

 「温故知新」の語は、『論語』巻之一、「為政」篇に、「子日、温故而知新、可以為師矣。」とあり、「子イワク、古キヲ温ネテ新シキヲ知レバ、以テ師タルベシ。」と読む。
「温」はまた「アタタメテ」とも読み、この文の解釈にも諸説があるが、「古い昔のことを研究して、そこから新しい知識や道理を見つけ出すという研究法であって、はじめて学者たり、教師たり得る。」という意味であろう。

温故知新の碑


温故知新の碑 

明治から大正時代にかけての実業家。
1860(万延元)年3月18日生まれ。
愛媛県会議員をへて1892(明治25)年自由党から衆議院議員選挙に立候補して当選。
1898(明治31)年宇和島運輸社長となり、南予海運界をリードした。
後に、宇和島鉄道社長、宇和島銀行頭取、宇和島商工会議所会頭などをつとめた。
1930(昭和5)年8月30日死去。享年71歳。
 
堀部彦次郎の像
 
堀部公園2 

保手川(来村川)

県立宇和島南高等学校逍遙歌の2番に保手川は歌われている。

城の南に若草の
萌ゆる思いを身に秘めて
清き保手川弛みなく
若き血潮は流れゆく

堀部公園3
コメント
No title
昔は、もっと立ち木があったように記憶しています。保手川も汚くなりましたね。
今の人達は気がつかないのでしょうか?それとも諦めているのでしょうか。
環境
どこの川でもゴミの山です。これも人災の一つですね。川の岸辺には雑草だけでなく、木まで生え、流量が少なくなっています。ますます汚れる原因ですね。これを打開するには、人々の規範意識と整備する人たちがいりますね。少々の人間ではできません。保手川、神田川、辰の川、須賀川のどれをとっても汚れ放題。昔、どの川でも泳いでいたことを考えると情けないですね。

管理者にだけ表示を許可する