三間の御庄屋 | 鬼城

三間の御庄屋

2016.12.17.Sat.08:00
毛利家

長屋門だろうか?それとも納屋?
三間の御庄屋さん毛利家である。
三間町時代に寄贈され、現在は宇和島市のものである。
毛利家保存会の方々の力で綺麗に整備されている。

庄屋1
灌漑池

旧三間町は米所である。
水争いは近年まで続いた。
この池は、毛利家のものだろう。
睡蓮の葉も色づき、晩秋の風情を楽しませてくれる。
しかし、今日は氷雨・・・寒~い!

庄屋2

門より母屋を望む

一段と高いところに建てている。
東北地方の曲屋を思い起こす。

庄屋3

つるし柿

例年のように保存会の方々が干し柿を釣っている。
秋の風物詩だが、行くのが遅れ、もう完成間近である。

庄屋4

地域の活動

個々の活動は、この地で勤務していた頃始まったと記憶している。
何度か清掃活動をした。今でも続いている。
まさに、継続は力なり!

庄屋5

あいにくの雨

もうすぐお正月!
干し柿・農産物は三宝に載せ神に供える。
農家の風習でもある。

庄屋6
コメント
No title
この毛利家は山の会で毎年お世話になっています。私が訪れた時の池の水面に映る紅葉・吊るし柿の干せ具合に、時間の流れを感じます。
 囲炉裏の生活体験ができる所もそうそうありません。大事に残して欲しい文化遺産だと思います。
価値観
吉野の食いしんぼう 様
以前、文化財指定に申請した折、床の間の補修が問題になり、ならなかったという経緯がを聞いたことがありました。そんな端末的なことより、歴史あるもの、時の流れの方が大事だと思います。今から少子高齢化ならばこそ、いろりの元での語らい、飲食など大事なんではないかと思います。
No title
 Y氏が、保存会の会長をされているようですね。
 この場所は、四季折々に訪れて撮影しています。しかし、有名な所なので撮られすぎて、これといった構図にはならないのが難点ですね。(構図づくりが下手というのもありますがね~。)
 長屋門を入ると何となく落ち着いた気分になるのはなぜでしょうか。日本人が持っている何かがそうさせるのかもしれませんね。
代表的な農家
笑隆で~す。 様
農家の格付けはあっても、やはり歴史がこのような建物を生んだという事実から、落ち着くのでしょう。先日亡くなられた犬伏先生も来られているとは思うのですが・・・蔵の中にも面白いものが在りますよ。
つるし柿
書き込みしたのですが、送信押せば拒否状態になりました。なので再度挑戦!しますね。
正月の鏡元のところに飾り付けます。
夫婦(家族)仲むつまじくをもじり、竹串に両端に2こづつ、間を少し開けて中に6こ入れ、三宝にのせています。
田舎では、三宝に半紙を置いて鏡餅を2段にして上に橙のせて神棚に飾ったような・・
記憶はだんだんと薄らいでいますが・・ね。
No title
結女 様
書き込み出来なかったのは、修正していたときとブッキング?かもしれません。何の気なしにお飾りを見ていました。お鏡の上に「干し柿」を飾っていたのは覚えています。ところ変われば風習も変わるで・・・いよいよ、毛利かもお正月準備のようです。師は走らないと行けません。
今夜は友人のバンド演奏会参加・・・出かけるとなると「寒いなぁ!」
No title
 漆喰壁の門は、もう1つ土居中方面にもあり、そこも庄屋さんだと聞きました。宇和島には、稲作をする土地がほんのわずかですが、三間は、この辺りでは、一番の稲作ができる田んぼが多い場所で、お庄屋さんも、多くあったのでしょうか?
干し柿
気温が上がり干し柿にならないのではと心配していましたが、良い具合に干し上がったようですね。
各部落
tentijin 様
お庄屋さんは、多くあったようです。土居仲の蔵のあるところは赤松家だったか?太宰家などもまだまだ残っています。いまから20年ほど前でも、水番の方は居ましたよ。広見時代に大会で夜遅く歯長越え・・・田んぼの筋筋に人が・・・11時頃だったかな?今はもう無いと思います。
No title
うわつ 様
暖かいので心配でしたが、うまい具合に換装していました。氷雨の仲でも黴びること無く・・・ここ柿は誰が食べるんでしょうか?正月のお祝いの席にでも振る舞われるのかな?いろりの側で楽しい会話、さけ・・・いいですね。
ステキな里山の風景
癒されますね~。少し前にはこんな風景が当たり前のようにどこでも見られたのでしょうが。近代的になるということは、得るものも大きいけど、失うものはもっと大きい、と言う気がしています。
日本全国
kinoppy 様
このような原風景はなくなりつつあります。山川も開発の余波で自然美が失われつつありますね。人間社会が考えねばならないと思うのですが・・・単なるじいさんのノスタルジーかもしれません。ここの四季の写真はいろんなカメラマンが撮影に来ます。それだけ残っていないのでしょう。
三間郷になぜ多くの庄屋家屋が残ったか?
拙著「岡本家の矜持」を見ていただくと三間の庄屋の攻防について詳しく書いておきました。せひご一読ください。
遺書のつもりで、「八幡神万華鏡」を書きましたが、これは集落がどうなって形成されていきかを学ぶためにも参考になります。

八幡神読みました・・・
木下博民 様
ありがとうございました。聞き覚えたのと書籍になって系統だって考えるのとでは格段の差があります。日本人として歴史をたどることが必要だと改めて考えさせられました。

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