歴史 | 鬼城

不思議な場所

2017.11.03.Fri.09:00
不思議な空間

仕事で松山に・・・
少し時間が在ったので「ランスケ」さんに紹介して貰った風景を尋ねた。
場所は聞いていたのだが、限られた時間だったので仕事中の方に聞いてみた。
丁寧に説明を受け、地域のことまで教えて貰った。
心が温かくなる。
行ってみると、これは!
ちょっと寄るという時間では失礼に当たるような場所だった。
ランスケさんにご案内を頼むのだったと後悔しきり・・・
次回にと思い、シャッターを切った。
古来よりの信仰心、地の恵、そして今を生きる人の存在感の在る場所・・・
夕暮れのランスケさんの写真を思い出した。


古墳0
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中世の城

2017.10.18.Wed.12:00
河後森城

秀宗公事績「鶴鳴余韻」(大正3年3月)を見てみると西園寺15将の記述がある。
河後森城は「川原淵殿」と呼ばれ渡邊式部少輔敎忠が治めていた。
石高は西園寺15将の中でも一番高禄で1万6500石である。
惜しむらくは西園寺の統治から戸田、藤堂、富田、伊達とめまぐるしく変わったこと。
生き残るためには従うよりほかない。
天正9年(1604年)には天守を解体した。
その一部を板島丸串城(後の宇和島城)へ移築し、月見櫓として建立している。
あまり知られていないが、渡邊氏の末裔の方が現八幡神社の宮司さんである。

鬼北町から松野町へ足を伸ばし登ってみた。
入り口が分からず、「吉野の食いしん坊」さんへ連絡、助けていただいた。
道は整備され、現在も樹木の伐採をやっていた。
最初に目黒側の新城跡へ、そして旧城へ・・・
ここからの景色は延野々方面が見渡せ景色が良いところだ。
登り口からの高度は80m。
椎の大木、何を見ているのか?

時間の余裕が出来たので「食いしん坊」さんのログハウスを訪問・・・
おもてなしを受け、お母さんとも歓談、満足して帰途についた。

次は土居清良のの居城「大森城」に挑戦してみたい。

可後森城1
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戊戌夢物語

2017.09.29.Fri.09:00
高野長英顕彰会

今年の3月のこと、高野長英顕彰会より寄稿文の依頼があった。
母体である高野長英記念館とは交流が有り、お世話になっている。
無謀にも宇和島での長英の実績についてまとめてみることにした。
彼は「戊戌夢物語」を書き、幕府の外交政策を批判した罪で投獄された。
いわゆる「蛮社の獄」
今も昔も体制批判はあるようだ。

内容は脱獄して宇和島に潜伏しでの功績についてである。
翻訳、藩士達への外国語の教授、軍備に関する施策を中心にした。
当然、宇和島伊達文化保存会からの援助、資料の提供を頂いた。
「久良砲台絵図」、「実射標的地図」などや辰野川沿いの「隠れ家」も取り上げた。
この顕彰会設立50周年の記念して「長英の夢と人生」に論文などまとめられ出版された。
先日、挨拶文が添えられ、立派な本が送られてきた。

歴史は何か残さねば、埋もれてしまう。
寄稿する機会を与えて貰い感謝にたえない。

長英の夢と人生

金剛山大隆寺

2017.08.02.Wed.17:00
おたまい様

子どもの頃からこの名前で覚えている。
今では正式名勝「御霊屋様」・・・
この廟は秀宗入部の時の総奉行である家老山家清兵衛公頼のぼしょである。
扉の奥には五輪の塔が立っている。

この墓所とは別に五代村候は自分の戒名が付いた大隆寺に位牌堂を儲けた。
山門の正面の建物がそれである。
この山家清兵衛期には最近、夜店も出店している。
夜には花火も上がっている。
本堂では琴の演奏、広場では「宇和島さんさ」の踊りも奉納される。
神になった侍だが、個々はお寺で法要の場所である。
神は和霊神社である。
当時も暑い夏だったに違いない。

御霊屋さん1
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今の馬目木大師

2017.05.23.Tue.09:00
元結掛願成寺

九島の鯨大師をお参りしたのでと言う訳ではないが、久しぶりに馬目木大師にお参りした。
廻りは住宅、駐車場とお寺の雰囲気ではない。
名前の由来となった「馬目木」も無くなっていた。
ただ、横にそびえる大銀杏の存在が名残か?
信者の方かどうか分からないが「銀杏の実」の袋詰めが・・・
一つ一つに「馬目木大師」の名前が記されている。

説明文もあるが、国鉄等という言葉も有り、文化財なのかと疑う。
自然と文化には掲載されているが、確認はしているのだろうか?

説明文を掲載する。

馬目木大師の由来

 弘法大師のひらかれたという九島鯨谷の願成寺は、四国霊場40番札所の札所観自在寺(御荘平城)の奥の院であったが、離れ島にあるため巡拝に不便であったので、寛永8年(1631)に元結掛の大師堂に移し、元結掛願成寺といった。この寺は明治になってからさらに現在の国鉄駅の近くの龍光院に合併せられた。
 この大師堂を馬目木大師といういわれは、弘法大師は鯨大師をつくられたものの、海を渡って九島までお札を納めに行くのはたいそう不便なので、宇和島の海岸にあった渡し場に遙拝所を設けられた。そしてこれに札を掛けよといって、そこに馬目木(ウバメガシ)の枝を立てておかれたら、いつしか根づいて葉がしげるようになったという。
元結掛の地名については、何時の頃かここで信仰心のあつい人が頭をそって仏道に入り、その髪を元結(めげをしばるひも)でこの馬目木に掛けておいたところから「まげとゆい木」といわれるようになったとも、またこの土地は海岸通りで、通行人の元結がこの馬目木の枝にひっかかるので名づけたともいわれている。
 現在もお堂と馬目木が残り、土地の人々の深い信仰の対象となっている。


馬目木大師0
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