宇和島 | 鬼城

寒桜

2019.01.07.Mon.12:00
松の内

関東では7日まで、関西は15日までのようです。
いろんな説があるようですが、今日は7日。
七草がゆを食べる日ですね。

4日仲間の方々が集まるところへ行くと「寒桜」が咲いたという話がありました。
早速行ってみました。
三部咲きくらいか?
暮れには一輪咲いていたとか?
冬桜の便りはありますが、寒桜は初めてです。
町の片隅では春が来ているようです。

寒桜2

寒桜1

行く年来る年

2019.01.02.Wed.08:00
紅白歌合戦

久しぶりに見た。
歌手の名前は知っているけれど歌は・・・(汗
誰かの歌「時代」でしょうか?
終了後、菩提寺の大超寺へ除夜の鐘を突きに行く。

帰り道に恒例の宇和津彦神社の初詣を済ませた。

除夜の鐘

初詣1

初詣2

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師走

2018.12.05.Wed.12:00
やっと紅葉

例年なら毎日通っていた宇和津彦神社から愛宕公園。
仕事を始めて余裕がなくなった。
久しぶりに行くと紅葉が始まっていた。

今回は奥行きを出す方法を教えてもらったので惚けの効果を試した。

宇和津彦神社0

宇和津彦神社1

宇和津彦神社2

宇和津彦神社3

宇和津彦神社4

街歩き

2018.11.23.Fri.09:00
城東中学校の一年生が宇和島市内を街歩き!
案内役として参加した。
訪れた場所は抜粋である。

佛海寺

この寺も臨済宗妙心寺派の禅寺である。
伊達家の御殿医富沢礼中の墓があることでも知られている。
しかし大用国師の碑があることは知られていない。

街歩き1

大用国師の碑について 円覚寺より引用

大用国士、僧誠拙は延享2年(1745年)に下灘浦之内柿ノ浦(現北宇和郡津島町柿ノ浦)に生まれ、
生母の再婚に伴い3歳から7歳までの5年間家串浦で育った。
ある夏の頃、誠拙が縁側で遊んでいると、六部姿の回国僧がやってきて頭を撫で、
この子は名僧になる相が現れているから小僧に出されたらよいと言った。
母はこの言葉を聞いて臨済宗妙心寺派仏海寺(宇和島市妙典寺前)の小僧に出した。
時に7歳、師は霊印和尚であった。
誠拙13歳のとき、藩主伊達村侯が不意に寺を訪れることがあった。霊印和尚は狼狽して迎え、
あいにく小僧達が不在で十分な応接ができないため気をもんでいると、誠拙が遊びから
帰ってきたので叱りつけて拳骨をくらわした。誠拙は殴られたことに不満であったが、
和尚に言われる通り殿様の肩を揉んでいた。殿様が不審に思い、わけを問うと和尚に殴られた
ことを語り、殿様がどんなに痛かったかと聞くので、「この位でございます。」と
殿様の頬を殴った。霊印和尚は万死に値するものとお咎めを待っていたところ、
藩主村侯は霊印和尚を城に招き「昨日の小僧は大器に違いない。鎌倉へ遊学させよ」
と言って旅費まで下賜したという。
 16歳にして諸方行脚を志し、各地を歴参の後、道声の高かった月船禪慧に参じようと
現在の横浜市保土ヶ谷にある宝林寺内にある東輝庵を訪ねる。誠拙はそれより月船に随時
すること多年、刻苦精励してその蘊奥をきわめ、ついに月船の印可を得てその法を嗣いだ。
明和8年(1771年)27歳の時、鎌倉円覚寺に登り佛日庵に入り荒廃していた円覚寺の復興に努力した。
31歳の時には円覚寺の長老となった。そして、71歳には幕府の命によって円覚寺189世住持
となった。後に大正天皇から彼の生前の仏教興隆に努めた功績をもって大用国師の師号を送られた。

街歩き2

山家家再興

宇和島藩の山家家は上意討ちにより途絶えていた。
5代村候によって再興されたことはあまり知られていない。
仙台には長男喜兵衛を残していたため現在も山家家は続いている。
宇和島にも再興され山家家は存続していた。
お墓は法円寺にある。

山際には伊達家4代公村年の聖母の墓がある。

街歩き3

大村益次郎の住居跡

歴史好きな方がよく訪ねてくるが、がっかりして・・・
何も残っていない。

街歩き4

ピント

2018.11.16.Fri.18:00
宇和島の夜景

機会があれば撮りたいと思っていた。
もう少し早かったら黄昏の感じが出ていたとのこと。
夕闇が来るのは時間との勝負、致し方が無い。

取るには撮ったが・・・
上の写真はピンボケ!
指摘を受け、下の写真になった。(汗
相変わらず、ピントが甘いというか眼が悪いのかも・・・

夜景1

夜景2